12日に封切り予定の『ハンテッド(The Hunted)』は、袋小路に追い込まれたハリウッドアクションが、その出口を見つけるために悩んだ跡がありありと見える映画だ。アクションでは、鉄砲や長い刀の代わりに短刀を使い、接近戦での肉と血のにおいを漂わせている。また、一太刀で終わらせるのではなく、カンフーのように段階ごとに節度のある武術動作(特殊部隊の剣術とフィリピン原住民の格闘技を合わせたものという)を取り入れ、切った張ったの残酷な場面ではありながらも、リズミカルな場面を演出していた。
特殊部隊の「殺人機械」として訓練をうけたアーロン( ベネチオ・デル・トロ)は、1999年コソボ戦争で英雄になって帰国するが、自分の残忍な殺人行為のため悪夢にうなされる。数年後、被害妄想に捕らわれた彼は森林で、密猟者を自分を殺すためにきた暗殺者と勘違いして残忍に殺害する。FBIが投入されるが神出鬼沒なアーロンを捕まえることができず、結局アーロンを殺人機械に育てあげた前訓練教官LT(トミー・リー・ジョーンズ)が投入される。二人は直接刀を作って、インディアンのように足跡のにおいを追い掛けて、都心の真ん中でカメレオンのように自分を保護色に偽装する。LTとアーロンの追跡・生存ゲームが始まったのだ。
この映画は孤独と殺意が入り交じった欲求不満の表情を持つベネチオ・デル・トロと『逃亡者2』から「追跡専門」になった性格派俳優トミー・リー・ジョーンズが演じている。
アブラハムの息子イサクを生贄に捧げる聖書の句節を導入部に引用して、「殺人機械」が訓練教官に感じるエディプス・コンプレックスを隠喩的に表現するなど、奥深い存在論的な悩みを隠しているかのようにみえる。しかし単刀直入に言って、この映画はアクション映画以外のなにものでもない。この映画が勝負をかける場面は、二人の男が対決を繰り広げる初盤15分と後半15分だ。エピソードは単線的で、キャラクターの爆発性は貧弱であり、俳優たちの表情は疲れて見える。
『フレンチ・コネクション』と『エクソシスト』を演出したウィリアム・フリードキンが作ったこの映画は、参戦勇士の被害妄想を取り上げた『ランボー』と現代社会の中で見失った純粋さを描いた『ブッシュマン』を混ぜたように見える。変わったアクションシーケンスを見せるという強迫に捕らわれたかのように、アクションは新石器と鉄器時代の動物的な原始性に回帰する。
ナンセンスはここで発生する。二人の男はこの映画が命をかけた「先史アクション」を見せるために、半日を石を削ったり鉄を溶かして刀を作るが、現代でただ10ドルで買える刀を都市隣接の森で熱心に作るという設定そのものが失笑を催す。長い追跡場面を演じる58歳のトミー・リー・ジョーンズも大変そうに見える。
『ハンテッド』でひときわ引き立つ点は聴覚を用いた恐怖感。森の中に身を隠したアーロンが密猟者を殺す映画初盤部。前後左右の劇場スピーカーから聞こえるアーロンの動物のような声は「5.1チャンネルのホームシアター」時代を暮す変わった経験だろう。
観覧は18歳以上可能。
李承宰 sjda@donga.com