01年5月、フランスのジャック・シラク大統領は苛立っていた。議会多数党である社会党の一部議員らが弾劾発議手続きに入ったためだ。当時、シラク大統領はパリ市長時代の不正疑惑で裁判所から召還要求を受けていた。彼が大統領の兔責特権を理由にこれを拒否するや、社党議員たちが弾劾カードを切り出したのだ。ところが、発議のための議員署名作業が始まると、シラク大統領の政治的ライバルである社会党のリーダー、リオネル・ジョスパン首相が先頭に立ってこれを阻止した。「弾劾が窮地に追い込まれた政敵に対する政治攻勢と見られる可能性がある」と言うのが理由だった。
◆そんなジョスパン首相も、02年の大統領選挙が近付くと自制力を失った。与野「同居政権」体制で内政を総括する首相の地位を利用して、ほどこし政策を濫発した。「ペルリオネル」というニックネームまで得た。プランス語でサンタクロースを意味する「ペルノエル」と発音が似ていることからできた言葉だ。すると、資金を握っていたローラン・パビウィス経済財務長官が歯止めをかけた。パビウィス長官は、「政府には秘密の金庫があるわけではない」と言って、ジョスパン首相の「ほどこし政策」を阻止した。パビウィス長官は社会党所属であり、ジョスパン首相が抜擢した人物だ。
◆結局、ジョスパン首相は不名誉な退陣をした。大統領選挙1次投票で意外にもジャンマリ・ルペン国民戦線(FN)党首に抑えられ3位に止まったためだ。1次投票の1位と2位で争われる決選投票に極右派であるルペン党首が出ることになり、国民は驚愕した。マスコミは「フランス民主主義に弔鐘が鳴らされた」と警告した。全国で極右派に対する反対デモが続いた。決選投票結果はシラク候補の圧勝だった。1次投票での得票率が20%未満だったシラク候補は82.085を得て、名実共にフランス大統領として生まれ変わった。
◆政治家が「腐敗した職業」であることはフランスでも同様だ。政治の透明性も英米や北欧州に比べれば遥かに落ちる。しかし、フランスには必要な時に自制できる政治リーダーが、リーダーが「走ろう」と言う時に阻止する「内部反対者」がいる。何よりも、危機に瀕すれば団結する国民がいる。彼らがいるので、ややもすれば国家的混乱になりかねない政治危機がもたらされても、乗り越えることができる。そのような政治家が本当に欲しい時だ。
朴済均(パク・ジェギュン)パリ特派員 phark@donga.com