会見をする彼らの表情には悲壮感が漂っていた。一様に「国と地域の将来のための選択」や「政治改革の大義」などの言葉を口にしていた。彼らを受け入れる側は「苦悩に満ちた決断」であるかのように持ち上げていた。しかし、そのような光景を見守っている国民は悲しいばかりだ。選挙の度に繰り返されてきた、それほど愉快とは言えない光景に、国民はもううんざりしている。いつまでこのような韓国的後進政治の、悲しく滑稽な光景を目にしなければならないのか。
◆民主党を離党し、ヨルリン・ウリ党に入党する人たちが続出している。「弾劾逆風」で民主党の支持率が下落の一途をたどり、ウリ党の人気が急上昇しているからだ。主に、地方自治体の首長らが中心となっており、一部の議員もこのような動きに参加する兆しを見せている。これまでウリ党にそれほど関心を示していなかった外部の人物たちもウリ党に目を向け始めているという。一部は比例代表の候補に取りざたされているという。ある比例代表公認申請者の話しが面白い。彼は「今になって入党すると言い出している人はみな渡り鳥ではないか。ウリ党は渡り鳥の飛来地にもなるつもりなのか」と皮肉った。
◆しかし、彼らを渡り鳥と呼ぶのは正しくない。渡り鳥は適切な気候、気温、そして餌と自分のルーツを探して移動するが、どんな場合でも秩序を違反することはない。鳥類研究家である慶熙(キョンヒ)大学の尹茂夫(ユン・ムンブ)教授は言う。「渡り鳥は自分の群れから離脱しない。たとえば、マガモの群れから一匹が離脱して雁の群れに合流することは決してない。もし、そんなことがあれば、それは死を意味する」。政治信条も捨てたまま、あの党、この党を渡り歩く政治家は渡り鳥の哲学から学ばなければならない。
◆ウリ党に乗り換えた人たちは弾劾の不当性を声高に叫んでいる。しかし、そのような所信を持っていたならば、弾劾案の推進過程で行動に移すべきだった。果たして、弾劾案の可決後、これに賛成する世論が多かったなら、そのような選択をしただろうか。ウリ党の関係者らは、一昨年の大統領選挙当時、民主党からハンナラ党にくら替えした議員を、日当たりのよいところばかりを選ぶ変節者だと非難した。そうであるならば、今回も同じ基準を適用して判断するのが望ましい。それをせず拍手ばかり送っているのであれば、「ヨルリン渡り鳥党」という非難も浴びかねない。渡り鳥にとっては、その言葉が侮辱に聞こえるかもしれないが…。
宋煐彦(ソン・ヨンオン)論説委員 youngeon@donga.com