ヨルリン・ウリ党が、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領に対する弾劾案可決の直後に公言した議員総辞職の約束を撤回したことは、遺憾である。議員たちは声明を通じて、「約束を守らない叱責を甘んじて受ける」と頭を垂れたが、既得権に執着して国民に対する信義に背いたという非難は免れ難い。議員職を捨てた場合、総選で3番の統一した記号をつけることができないうえ、約50億ウォンの国庫補助金もあきらめなければならないなど、現実的理由が作用したようだ。
しかし、いかなる大義名分を掲げても、国民の目にはウリ党が「弾劾逆風」に伴う支持率上昇に鼓舞されて、傲慢になったように映るしかない。国民への約束をそのようにたやすく覆してもいいものか、それが彼らが創党以来唱えてきた「旧態政治」とどこが違うのか、問いたい。自己犠牲を払いながらも約束を守るのが、まさに新しい政治ではないのだろうか。
弾劾案可決から10日経ったが、国民は当時のウリ党議員たちの悲壮な姿を生々しく覚えている。彼らは泣きながら「愛国歌」を歌い、議員総辞職を満場一致で決議して辞任届を書いた。多くの国民は、彼らの決然とした姿から、巨大野党の弾劾案処理に心情的に怒りを感じたのは事実だ。
それを今になって、あの時書いた辞任届を紙くずにするという。あの決議は単に欺瞞に過ぎなかったと言うのだろうか。弾劾に賛成した一部野党議員が世論の逆風に押され、後になって弾劾撤回を提起したことと同様、日和見主義的な行動と言わざるを得ない。
国民に公言した「議員総辞職」は、状況によって手のひらを返すように覆せる軽い約束ではない。ウリ党は、現在の支持世論がいつでも変化し得るということを忘れてはいけない。