昔から印鑑(印)は個々人の人格と身分、そして権威を象徴する品物だった。印を預けるということは全幅的な信頼を意味することで、お金は貸しても印は貸さないのが不文律だ。官庁には官印があり、会社には職印がある。官庁の許認可や会社間の取り引きも印があってはじめて效力を持つ。印は人間の信義と固い約束よりもっと效力を持つ貴重な物だ。
◆国にも国家の権威と統治権者を象徴する印、すなわち国璽(ククセ)がある。玉または金を使って作ることから玉璽(オクセ)または金宝(クムボ)と言うが、普通は玉璽で通じる。中国では「受命於天其寿永昌(天から命を受けたのでその命は永遠に栄えるであろう)」を刻んだ始皇帝の玉璽が、我が国では穢(エ)王の穢王之印が最初のものだ。王朝が入れ替わった時には中国に使臣を送って、玉璽を受け取ってこそ正当性が認められた。「印の主権」を奪われたわけだ。
◆我々が自主的に玉璽を作ったのは、1897年高宗(コジョン)が大韓(テハン)帝国を宣布して皇帝に就いてからだった。模様も諸侯を象徴する亀から皇帝を象徴する竜に変えた。韓日併合後、日本が玉璽8個を奪って東京に持ち帰ったが、日本から独立した後にマッカーサーを通じて返還された。それが韓国戦争の渦中で全部紛失したが、なんとか3個を取り戻した。建国後は漢字の篆書体になっている「大韓民国之璽」に続き、1963年ハングル篆書体の銀製『大韓民国』の国璽を作って使ったが、政府樹立50周年を記念して訓民正音(フンミンジョンウム)体で『大韓民国』4字を刻んだ鳳凰模様の禁制国璽を新たに作り、1999年2月から使っている。
◆一昨日、中央選管は民主党の法的公認権者を論議したあげく、中央党職印と代表職印を持ち、秋美愛(チュ・ミエ)議員側と対立して速かに職印変更登録を終えた趙舜衡(チョ・スンヒョン)代表側に軍配を上げた。印で党権を守った趙代表は、まるで哲宗(チョルジョン、朝鮮時代第25代王)王の死去後、素早く玉璽を手にした後、電光石火のように高宗(朝鮮王朝の第26代王)を戴いた趙(チョ)大妃を連想させる。しかし「判子を捺す」という言葉がまた別れを意味するということが気にかかる。ややもすると、玉璽が趙代表の「玉碎」につながるかもしれない。
呉明哲(オ・ミョンチョル)論説委員 oscar@donga.com