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[オピニオン]政治広告

Posted April. 05, 2004 22:40,   

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ある少女が野原でデイジーの花びらを一枚ずつちぎりながら数字を数える。「一つ、二つ、三つ…」。少女が十まで数えるや、今度は太い男の声が逆に数字を数える。「十、九つ、八つ…」。やがて「零」に至る瞬間、鼓膜を鳴らす轟音とともに画面は原子爆弾の茸の雲に覆われる。後に続く音声。「危険はこういうものだ。神様の子孫みんなが生きる世の中を作るか、それとも暗黒の中に閉じこもるか…」。1964年9月7日夜に米CBS放送でたった1回放送されたリンドン・B・ジョンソン当時民主党大統領候補の大統領選挙の広告内容だ。

◆米国でテレビの政治広告はドワイト・アイゼンハウアーとアドレイ・スティーブンソンが対決した1952年大統領選挙のときに初めて登場した。しかし選挙戦で強力な威力を発揮したのはジョンソンの同広告が初めてだった。「花のデイジー広告」でよく知られた同作品は「ベトナム戦争で小型核兵器を使用することができる」というバリー・ゴールドウォーター共和党候補の保守性向を有権者に刻み込ませて成功を収めた。これでジョンソンはラジオを積極的に活用したフランクリン・ルーズベルト、テレビ討論のジョン・F・ケネディとともに米国の選挙運動方式の枠組みを変えた人物として残るようになった。

◆我が国の場合、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領がテレビ広告で大きな恩恵を受けたというのはよく知られた事実だ。2002年大統領選挙のときにポップ歌手ジョン・レノンの曲「イマジン(Imagine)」を背景に盧候補が涙を流す姿を描いた「感性的」広告は、乱暴運転のバスを主題に製作された李会昌(イ・フェチャン)陣営の「理性的」広告に比べて、いっそう訴える力が大きかったという評価を受けた。17代総選挙が目前に迫るなか、与野党がもう一度テレビ広告を準備している。今度はどんな広告が有権者の感受性を刺激するだろうか。

◆ただでさえ党本部の移転や与野党総選挙指揮部の「お辞儀競争」などが中身のないイメージ政治の産物だという批判が少なくない。「政策」と「人物」は消えて、「ブーム(風)」だけが巻き起こる総選挙に対する憂慮も大きい。こうしたなかで感性的なテレビ広告が有権者の判断力をさらに歪めるのに一助するのではないか。結局、判断は有権者の手にかかっている。ややもすると感性に溺れて誤った選択をした場合、そのつけも有権者に回ってくるからだ。

宋文弘(ソン・ムンホン)論説委員 songmh@donga.com