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3金氏、歴史の中に消える

Posted April. 19, 2004 22:33,   

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いわゆる3金氏時代の三人のうち、最後まで残っていた自民連の金鍾泌(キム・ジョンピル)総裁が19日、政界引退を宣言した。韓国政治史をおよそ30年間を支配してきた「3金氏時代」が、いま栄辱の歴史の中に幕を閉じようとしている。

▲3金氏時代の命脈が切れる〓3金氏の影響力はすでに2000年の総選挙と2002年の大統領選挙を経て大きく弱体化されたが、3金氏の命脈は彼らの家臣グループを通じて維持されてきており、金総裁は党の総裁職を維持しながら再起を狙った。

しかし、金大中(キム・デジュン)前大統領の「直系」であることを自任してきた民主党は、今回の17代総選挙で事実上沒落した。

韓和甲(ハン・ファガプ)前民主党代表が総選挙で生き残っており、金大中前大統領の長男である金弘一(キム・ホンイル)議員が民主党比例代表4番で17代の国会入りするなど「命脈」はつないでいるが、東橋洞(トンギョドン)派の結集した影響力は事実上消滅した。それに韓前代表は検察捜査を控えている。

金泳三(キム・ヨンサム)元大統領の上道洞(サンドドン)派も幕を下ろすことになった。ハンナラ党の徐清源(ソ・チョンウォン)元代表が検察に拘束されており、金元大統領のスポークスマンである朴鍾雄(パク・ジョンウン)議員はハンナラ党の公認候補から脱落した後、釜山沙下乙(プサン・サハウル)選挙区で無所属出馬したものの、辛うじて3位を占めたにすぎない。金元大統領の次男、賢哲(ヒョンチョル)氏も父親の政治的故郷である慶尚南道巨済(キョンサンナムド・コジェ)で出馬しようとしたが、結局あきらめた。

このような状況で、金鍾泌総裁まで地元の忠青(チュンチョン)地域から無視され、比例代表1番でありながらも、政党投票率が3%に達しなかった(2.8%)ため、「老兵は死なず、ただ過ぎ去るのみ」という言葉を残し、政界から退くことになった。

▲3金氏時代終焉の意味〓仁荷(イナ)大学の金容浩(キム・ヨンホ、政治学)教授は「金と組職、家臣、地域覇権、カリスマなどに基盤を置いた権威主義の政党体制が崩れて、メディア政党、院内政党、政策政党に方向を変えている」と話し、歴史的な意味付けをした。金教授は政治を伝統的な意味での「パワーゲーム」と見ないで、一種の「遊び文化」として受け入れている20、30代の出現と、既成政党の構造改革を望む40代が変化の原動力として働いていると説明した。

慶煕(キョンヒ)大学の金義英(キム・ウィヨン、政治学)教授は、金鍾泌総裁の政界引退について「3金氏時代の慣性と論理から脱することができずに、地域主義のボス政治を続け、さらにイデオロギー的な硬直性などが重なり、総選挙で惨敗を喫した」と分析した。

ソウル大学の張達重(チャン・ダルジュン、政治学)教授は「地域に基盤をおいた『オーナー政治』時代が解体されたこと自体が発展だ。しかし、これから理念や政策中心の政党システムに向かうか、再び過去の地域主義が返り咲くかは明確でない。先進的な政党システムが定着するためには、これを主導する政治勢力が必要になるが、まだはっきりしない」と指摘した。



鄭用𨛗 yongari@donga.com