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あの02年の夏の日のことは忘れろ

Posted April. 29, 2004 22:35,   

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予見されたことだった。コエリョ監督が韓国のサッカー代表チームの司令塔を受け持った瞬間、監督の辞任を知らせる時計の針は動き始めた。いくら優れたサッカー指導者であってもヒディンク前監督が02年の夏に成し遂げた成果の後では、韓国サッカーの変化をコントロールしがたいことが明らかなためである。

ブルーノ・メツ、セノル・ギュネシ、フィリップ・トルシエ氏らが次期代表監督の有力な候補として浮かび上がっている。だが、彼らの中の誰であれヒディンク監督が成し遂げたような成功をあげることはできない。2002ワールドカップはそれほど特別だった。韓国の「ベスト4入り」の神話はヒディンク監督だけの功ではない。ヒディンク監督と大韓サッカー協会、韓国国民が作り出した合作だった。

6月初めに韓国はトルコ(2日、5日)と評価戦を行う。その時分に新監督が決まるだろう。中国で行われるアジアン・カップが残りわずかとなっている時期であるためだ。

トルコのギュネシ氏が新司令塔を受け持つとしても驚くべきことではない。ギュネシ氏は闘士だ。自分の決定が正しいと信じていればそのまま突き進む。

メツ氏も内心ソウル行きを望んでいるかもしれない。メツ氏はコエリョ氏が14ヵ月間72時間しかチームを訓練する時間がなかったと不平を言ったことを知っている。メツ氏もセネガルを訓練させた時、コエリョ氏と同じ状況に置かれていた。だが、メツ氏はチームワークをまとめ、W杯開幕戦でフランスを破った。

トルシエ氏は韓国によく適応できるということをすでに日本で見せてくれた。トルシエ氏は今、カタールの代表チームを受け持っているにもかかわらず、韓国代表の新監督リストに名を載せた。

実際、韓国代表の監督にはエメ・ジャケ氏が適任者だ。ジャケ氏は1998年W杯でフランスを完璧に仕立て上げ王者に押し上げた。だが、もうこれ以上代表チームや協会で仕事することをあきらめ、幼少年サッカーに貢献すると公言した。そして二度も韓国行きを断った。お金や記念碑的な挑戦でなくては、ジャケ氏が心を変えそうにはない。

ロジェ・ルメル氏もフランスのユーロ2000優勝を演出した。だが、2002W杯ベスト16の脱落という恥辱を残している。今年アフリカン・カップでチュニジアを王者に押し上げ健在を誇示したが、3月に契約を2年延長した。

もちろんルイス・フェリペ・スコラーリ氏もよい候補だ。だが、スコラーリ氏は今年6、7月のユーロ2004でポルトガル采配という重要な任務がある。もし、大韓サッカー協会が7月まで待つとすればスコラーリ氏と契約することも可能だ。

グレン・ホドル元英国代表監督はファンタスチックな選手だったし、立派な監督になりうる。トッテナムで選手に適切な動機誘発ができず、今季6試合ぶりに解任の憂き目にあったことが玉に瑕だが・・・。

誰であれ2002年W杯は過ぎ去った歴史だという事実を肝に銘じなければならない。新しい時代は骨を刻むような努力の末に来るということだ。大韓サッカー協会は急ぐ必要がない。今夏あえて監督を決めなければならないという使命感に駆られて、取り急ぎ外国人監督を迎え入れるよりはもっと慎重になる必要がある。