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[社説]与党に「共生政治」の意思があるのか

[社説]与党に「共生政治」の意思があるのか

Posted May. 09, 2004 22:51,   

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ヨルリン・ウリ党の鄭東泳(チョン・ドンヨン)議長とハンナラ党の朴槿恵(パク・グンヘ)代表は1週間前の代表会談で、「共生政治のための基本枠組みづくりに乗り出す」という内容の「協約」を発表した。しかし、いま与党で流れている話とは距離があるようだ。

「金爀珪(キム・ヒョクギュ)首相論」が代表的な例だ。むろん盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が金氏を首相に内定したのかどうかは、まだはっきりしない。しかしそのような話が飛び出して、ハンナラ党を刺激している。野党の存在を無視することであるうえ、特に6・5再・補欠選挙で釜山(プサン)と慶尚南道(キョンサンナムド)地域の勝利を狙う政略的発想が隠れているということだ。

与党は、ハンナラ党が3度も慶尚南道知事選に公認したのだから、能力も資質も認められているではないかとして、金氏を押す構えだ。しかし逆に考えてみよう。3度も自分の党の所属として知事を務めた人が、総選挙直前にライバル党に乗り換え、首相に名を挙げられるのを見るハンナラ党の心情はいかがなものか。行政能力とは別に政治道義上、問題視するのは考えられることだ。

4・15総選挙の民意は、これからは「勝負の政治」「意地の政治」を止め、与野党が国と国民のために協力して働いてほしいというものだった。民生と経済の回生、政治改革など、やるべきことが山積している。にもかかわらず、これには目もくれず、首相指名問題で早くも与野党間の対決ムードが生まれてもいいものだろうか。

共生は、相手を配慮することから始まる。いくら一方が望むことであっても、片一方が抵抗を示せるのなら引っ込めることも知らなければならない。政治とは、相手を屈服させるゲームではなく、譲歩と理解で互いを説得していく過程である。そのうえ今は、憲法裁判所の弾劾審判で、大統領の職務が停止している状態だ。このような時に、与党議員の会合などで内閣改造の話を取り上げること自体、お粗末な話である。