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[社説]憲法裁、少数意見を明らかにするのが正道だ

[社説]憲法裁、少数意見を明らかにするのが正道だ

Posted May. 11, 2004 22:36,   

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憲法裁判所が盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の弾劾をどうするか決める判決日が、明後日に迫った。大統領の弾劾審判は憲政史上初めてのことで、憲法裁の判決文は「歴史的な文書」になるだろう。憲法裁が国会訴追を棄却するか、大統領を罷兔するかはまだ分からない。どんな判決が言い渡されても多数の意見に劣らず少数の意見も重要な意味を持つ。

憲法裁判所法上、判決文の意見表示規定に弾劾審判事件が除外されていたため、多数の意見だけを判決文で公開することも法律的には可能だ。しかし国家元首の罷兔いかんを判断する重大な審判で、少数の意見が埋もれてしまうのは正道でない。少数の意見も尊重されなければならないし、公開される機会を与えなければならない。

国民世論が分裂しており、政治的に敏感な事案なので少数の意見を公開することはできないという論理は成立しない。裁判所の判断に、不利な決定を受けた利害当事者の不満が付きまとうのは仕方ない。司法の独立には、必ず裁判官の判断に対する責任が伴う。

裁判官9人のうち4人以上が弾劾に反対するか、6人以上が賛成した場合、少数意見を明らかにせず、多数の意見だけを決定文に公開することはできるだろう。しかし、これは4:5、6:3または7:2を9:0と発表するのと同じだ。賛成と反対の割合によっても大統領と政界、そして国民に与える教訓と意味が変わってくる。したがって裁判官らが9対0の結論をくださなかったなら、少数の意見が公開されるのが正しい。

憲法裁は、国民と歴史の前に責任を全うする姿勢で判決文を作成しなければならない。多少困難が予想されても、違法で迂回してはならない。憲法裁は国会訴追委員側はもちろん、大統領の代理人団側でも少数意見の公開を支持していることに注目しなければならない。