6・5再補欠選挙は、ヨルリン・ウリ党の完敗で終わった。党指導部が総出動して集中的に選挙運動をしたが、4ヵ所の地方自治体首長では全てハンナラ党と民主党が勝利した。市区郡長選でも、19人のうち3人、広域議員では38人のうち6人が当選するに止まった。特に、全国の声を代表する首都圏で、5ヵ所の市区郡長選でハンナラ党が勝利したことは、象徴的な意味が大きい。内容面でも与党の惨敗と言わなければならないだろう。
無論、今回の再・補欠選挙は全国規模ではなく、投票率も28.5%と低調だった。しかし、これを考慮に入れても、与党の看板を掲げた候補は、なぜほぼ全滅という惨憺な結果となったのか、真剣に考えなければならない。与党の一角では、「投票率が低くて意味がない」という発言が出ているが、そのような安易な状況認識は驚くべきである。
国民が4・15総選挙で与党を過半数議席の院内第1党にしたのは、責任感を持って国政を導いてほしいという意味だった。しかし、その後盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と政府与党は、何一つ満足させるものがなかった。「民生」だ、「改革」だという声だけは騒々しいが、改革の優先順位が何であり、国政のビジョンは何なのか、十分に提示することができなかった。むしろ下手な処理で国政の混乱をもたらし、国民を疲れさせた。
盧大統領は、「善の進歩、悪の保守」発言で見られるように、依然として二分法的な意識で、弾劾棄却直後に対国民談話で約束した「和合と共生の政治」は色あせた。「金爀珪(キム・ヒョクキュ)首相指名論」をめぐる党と大統領府、与野党間の葛藤も、共生と民生優先の政治とは距離があった。
憲法の趣旨に反して無理な組閣をしようとしたため、首相が辞任して首相代行体制になったうえ、3省庁は組閣が予告されても新しい長官が赴任できない奇妙な状況が演出された。与党は、政権党として責任ある姿勢を見せるどころか、党内のリーダーシップが見えないまま、地位争いに明け暮れる姿を見せた。最近はアパート分譲原価公開などの経済政策をめぐり、党内はもとより指導部間でも、互いに食い違う主張をする混乱をもたらした。
再・補欠選挙の過程での「嶺南(ヨンナム、慶尚道)オールイン」も問題だ。与党は、地域主義克服という大義名分の下、「嶺南人物の重用」、「嶺南発展特別委員会」構成などを掲げたが、これがかえってライバル政党や他の地域の地域主義をあおる逆効果となった。例えば、湖南(ホナム、全羅道)地域では、選挙期間の間、「嶺南発展論」が最も大きな選挙イシューだったと言っている。
与党は、このようなことが結局国政への不安感を高め、政権勢力に対する国民の信頼を早いスピードで失墜させたのではないかと振り返る必要がある。また、総選挙後に多数の力を信じて傲慢にならなかったか、冷静に考えなければならない。
与党は、背を向けた民心を十分に読み取らなければならない。そのためには、選挙の惨敗の原因を肝に銘じ、国政運営と党の体質を全面的に刷新する契機にしなければならない。今からでも、国政安定と民生安定、経済回復に総力を傾けなければならない。民心は改革の掛け声よりも、生活の問題に対する具体的な実践を望んでいる。