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政府と遺族、補償合意に至らず葬式延期

Posted June. 27, 2004 22:53,   

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故金鮮一(キム・ソンイル)氏の遺体が釜山(プサン)医療院に安置されて1日が経った27日、遺族たちは切なく「私たちの鮮一よ」を叫びながら衝撃から脱することができずにいる姿だった。

釜山医療院には喪屋を設けた23日から同日まで4000人余りの弔問客が訪れており、遺族と政府側の代表は葬式の手続きと補償などに対する議論に取り掛かった。

▲喪屋の表情〓金氏の遺体は26日午後7時25分頃、軍の輸送機便で金海(キムヘ)空港に到着して別途の検疫手続きなしに警察儀仗隊によって待機していた黒のキャデラックに直ちに移された。

棺を乗せた車の行列が釜山市内を通って釜山医療院に向かうや、道路周辺の多くの市民らは目頭を濡らした。釜山金井(クムジョン)区役所の前には30人余りの市民がロウソクを持って金氏の寃魂を迎えており、一部の市民らは「故人の冥福を祈ります」というプラカードを持ったまま黙祷を捧げたりした。

金氏の遺体が26日午後8時35分頃、釜山医療院に到着すると、妹のジョンスク氏(33)と姉のヒャンリム氏(41)は棺をつかんで「鮮一よ、ここが釜山だ。あなたが住んでいた釜山だ。目を開けて見なさい」と泣きわめいた。

父親の金ジョンギュさん(69)と母親のシン・ヨンジャさん(59)は周囲の反対で出ないまま遺族休憩室の隅に座って泣きながら悲しみに浸っていた。

遺体とともに金氏が普段大事にしていた遺品も到着して遺族と周辺の人々の心をもっと痛くした。金氏の遺品は普段金氏が集めておいた手紙とメモ、写真などが入った紙箱を含めて、聖書、辞書、ギター、衣類、音楽CDなど30点ぐらいだ。

金氏が冷ややかな遺体で帰ってきた26日からは弔問客がさらに増えており、27には休日を

迎え、金氏の顔も知らない一般市民らが家族単位で尋ねてきて弔問した。

政治家はもちろん、幼い生徒から80代の年寄りまで性と年齢に関係なく、全国各地から弔問客たちが尋ねてきて、まるで自分たちの家族が犠牲になったかのように悲しんだ。

▲葬儀・補償問題〓金氏の葬式はキリスト教式の家族葬式に決まったが、具体的な葬式日程は補償問題と相まってすぐ結論が出ないものとみられる。

政府は金氏に対して「最大限の補償と礼遇」をすると明らかにしたが、国立墓地の安葬とカナ貿易の責任問題などが障害物となっていて交渉が難航している。

27日午前10時半から釜山医療院で開かれた交渉テーブルには、政府側代表に行政自治部のチェ・ジョンマン安全政策官と遺族側の諮問弁護士である李ウンギョン弁護士、遺族代表であるチャン・ジングク氏、金グヒョン釜山市行政副市長などが参加した。

政府と遺族双方は補償と礼遇に対する交渉を先に仕上げた後、葬式期間、葬地など葬式手続きに対して協議することにした。

同日午後7時2次交渉では、遺族側が議論した協議案をまた政府側に提示しており、崔政策官は「遺族の要求事項が最大限受け入れられるように努力する」と明らかにした。

双方は28日午前3次交渉を行い異見を調整した後、記者会見を通じて葬式の日程を発表することにしており、補償案を発表するかどうかについては議論している。

一方、政府は金氏遺族に補償できる法の規定がないとしても、特別な事例という点を勘案して例外的に補償金を支給する予定だ。

また、政府は補償責任のあるカナ貿易の金チョンホ社長が帰国しておらず、交渉進行に支障を来たしているため、先にカナ貿易が負担しなければならない補償金も支給した後、求償権を請求する計画だという。



趙饁輝 石東彬 silent@donga.com mobidic@donga.com