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「以前は山登り、今は入山」登山家のナム・ナンヒさんの軌跡

「以前は山登り、今は入山」登山家のナム・ナンヒさんの軌跡

Posted July. 02, 2004 22:15,   

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76日間かけて白頭(ペクドゥ)山脈を一人で縦走した女性。女性登山家として世界で初めてヒマラヤのガンガプルナ登頂に成功…。伝説的な記録を残した登山家ナム・ナンヒさん(47、写真)。

そんなナムさんだが、最近は山に登るのが昔と全く違う。頂上までいくら残ったか焦りながら、忙しく足を運ぶこともない。代わりにお供の幼い息子キボム君(11)が山全体に響くように笑い、騒ぎながら山を登る速度に合わせる。そうして頂上に登ることができなければ…。途中で降りてきても構わない。

「以前には山登りをしたとすれば、今は入山をします。山を登るときは見えなかった山の姿が今はもっとよく見えます」

ナムさんが最近、発行したエッセイ『低い山がよい』(ハクゴジェ)は登山から入山へと、ナムさんの人生が変わってきた軌跡を淡々と語っている。女性登山家同士のエベレスト登山計画の挫折、潜伏、結婚、出産、ソウルを脱して智異山(チリサン)に引っ越して離婚。江原道(カンウォンド)の旌善(チョンソン)自然学校の校長、台風15号「ルサ」による自然学校の崩壊、また智異山ファゲゴルに定着…。生活人として人生の曲がり角を荒々しく曲がってきたナムさんは、「一瞬のうちに生命を奪い取るガンガプルナの突風より、江原道旌善の家の屋根を吹っ飛ばした台風のほうが怖いこともある」と、人生の深さを悟った。

「20代には『死の代理選択』で山を登ったんです。満たされない飢渇があったし、人に優越感を感じたいという欲に追われました。それが私をも人をも傷つけることになったんです。」

もうナムさんは山を登る代わりに山裾で暮しながら、お茶の葉を炒り、みそを作る。去年は豆十俵で大豆の麹を作りました。登山家として「いつかは白頭山脈の北側を完走しなければならない」という課題を忘れてはいないが、今のナムさんに一番大事な時間は、床に座って智異山の豊かな自然を眺めているときだ。

ナムさんを変えたのは自然と子供だ。種を蒔いて草刈を二回しただけなのに、豆は伸び伸びと育ってくれた。「恋人であると同時に主人であり、父である」息子は、雨が降ればカササギとトンボの巣が無事かを心配する、自然と話し合う子供に育った。一年の始めと二人の誕生日に、ナムさんと子供は互いにお辞儀をする。二人のお辞儀儀式を行うたびに、ナムさんは「子供がいて私を振り返るようになり、深い心をしるようになった」という事実をかみしめる。

「今までの人生は山に来るための過程だったという気がします。何もこれといって望むことのない平穏な状態。それが今の私の人生であり、私は今の平穏が本当にいいです。」



鄭恩玲 ryung@donga.com