冷たい井戸水をひっきりなしに飲んだ時代があった。喉の渇きを解消するためでなく、ひもじさを忘れるために。多くの子供たちが1日1食で幸せを感じることができ、感じられなければならなかった時があった。遠い昔でもない1960、70年代の話だ。黄錦燦(ファン・グムチャン)詩人は、当時の春の端境期に対する体験を次のような詩で残した。「限りなく高く、多くの人が泣きながら越えた。/−飢えながら越えた。/…/コリアの春の端境期、/越えるしかなかった運命の標高九千メートル/少年は草地に横になった。/空は一粒の麦、/今、私の目の前には何も見えない」。
◆この有様だった韓国が30年あまりで世界11位の経済大国となった原動力を、経済学者たちは多方面で分析する。エリート集団が優れていたためだ、国民大多数が勤勉だったためだ、外国の援助のお陰だなど。しかし、この地の40代以上の人たちは誰もが直感で知っているはずだ。子供を飢えさせることをこの上ない重罪と思っていた親が国民でいた国だったから、節約に節約を重ねながら経済を立て直したことを。
◆先進国クラブと言われる経済協力開発機構(OECD)にも加入したのだから、当然もう解決済みの問題だと思っていた。ところが、子供たちが飢えているという。学期中は学校から給食支援を受けて来たソウル市内の小中高校生30万人のうち26万5000人は、夏休み中は昼食を自ら解決しなければならず、そのうち相当数は飢える可能性が大きいというのだ。草根と樹皮しか食べ物がないのでもなく、毎年、生ゴミが10兆ウォンに達する時代にだ。
◆30万人のうち、絶対貧困層にあたる3万5000人は、政府が支給するクーポンで近くの食堂と福祉館でお昼を解決できると言う。しかし、2000ウォンのクーポンで、ご飯らしきご飯が食べられるのか、お客さんとしてちゃんともてなされるのかは疑問だ。食堂の片隅で羞恥心を我慢しながらご飯を食べるよりは、むしろ飢えた方がマシだという子供たちが実際にいるという。幼い頃、ご飯を飢えながら味わった挫折感は一生忘れられないものだ。政府はわけもわからぬ国策事業に使うお金があれば、子供たちのひもじさと傷をまず癒してあげなければならない。この地の数多くの親を子供を飢えさせる罪人にしてはいけないのではないか。
千光巌(チョン・クァンアム)論説委員 iam@donga.com