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ジャズボーカリスト「ユン・ヒジョン」

Posted July. 13, 2004 22:27,   

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ジャズボーカリストのユン・ヒジョン(51)はエネルギーと熱情があふれる。話すたびにもジャズと音楽に対する熱情が一杯だ。

ユン・ヒジョンは「いつも会いたい人になる」が座右の銘だと言う。その言葉は、ユン・ヒジョンが97年からほとんど毎月行っている、公演『ユン・ヒジョン&フレンズ』の客席をいっぱい埋めるファンで裏付けられる。ユン・ヒジョンの公演によく訪れるアンドレ・キムは「いつのまに2時間が過ぎ去ったのか分からないほど」と言う。

ユン・ヒジョンが最近、新しいアルバム『C.E.O.J』第1集をリリースした。『C.E.O.J』は「コー・エデュテインメント・オブ・ジャズ」という意味だ。ジャズに教育と楽しさを連携したという意味だ。教育という言葉は不慣れだが、ユン・ヒジョンはここに格別の意味を置く。

「音楽は選択です。教育はその選択のための説得です。説得すれば共感するようになり、その次にはジャズが必須に変わります。」

『C.E.O.J』は、ジャズ大衆化のために心血を注いできたユン・ヒジョンの初めての試みだ。アルバムに収録された15曲を聞いて見れば、ジャズ特有の曖昧さが感じられる。正統ジャズと韓国の鉦、太平簫(テピョンソ)の調和、音と音の間を自由に行き交うボーカル、定型がない様である様で、ありながらもないようなサウンド…。ユン・ヒジョンは「90年代初め、このようにかげろうのようなジャズサウンドに魅かれてジャズを始めた」と言う。

ユン・ヒジョンは特に、韓国ミュージシャンは韓国風のジャズをするしかないとし、鉦などで国際化を狙った第3のリズムを試みていると説明する。

タイトル曲は「You’d Be So Nice to Come Home to」で、コール・ポーターの代表曲の一つだ。ラテンのマンボリズムを加味して、熱情と笑いが同時に滲んでいる。自ら歌詞を飜案したユン・ヒジョンは「伝説的な女性ジャズボーカリストのビリー・ホリデーやエラフィッツ・ジェラルドも歌詞が70%と話した」とし「ボーカリストは器楽曲に歌詞を付けること(ボーカルライズ)ができなければならない」と話した。

収録曲「アシ(お嬢さん)」は70年代人気ドラマの主題歌で、李美子(イ・ミジャ)が歌った歌を英語に飜案して歌った。李美子の「お嬢さん」を覚えているファンには、この歌はまた別の魅力とフィーリングとして近づいてくる。「Y.H.Jブルース」はユン・ヒジョンのジャズ師匠である李パングンの創作曲で、自伝的な話を歌詞に付けた。李ジョンシクのサクソフォーン、太平簫、鉦、ラテン楽器を結合して、上機嫌に農楽フェスティバルを繰り広げているようだ。大哭スタイルの「エプロブルー」は、「バブルシスターズ」で活動している娘の金スヨンがコーラスを、事業をする息子の金テヒョンがラップをした「家族の歌」だ。

72年「セノヤ、セノヤ」でデビューしたユン・ヒジョンは、ブルースを経て90年代初盤ジャズに定着した。以後20年余りの間、ジャズに集中してきたユン・ヒジョンは「良いジャズはミュージシャンが即興的に介入するからメロディーが消える」とし「魂の音を出すジャズシンガーになりたい」と話した。

ユン・ヒジョンはこれから『C.E.O.J』シリーズを引き続きリリースする予定だ。「ユン・ヒジョン&プレンズ」の舞台で、ユン・ヒジョンの「教育」を受けて歌ったアマチュアたちは、タレントの朴サンウォン、洪思徳(ホン・サドク)前議員ら140人余りにのぼる。そして同公演に訪れたファンは、ユン・ヒジョンが繰り広げる「ジャズ文化キャンペーン」の支持者になる。

「ジャズは人間から出た音楽なので、聞けば聞くほど人間になります。全国のあちらこちらでジャズを口ずさんでいたらと思います。」



許鎏  heo@donga.com