国政はなく、「政治的意図」だけがあるのか。
ヨルリン・ウリ党が、親日反民族行為者の範囲を大幅に拡大した「日帝強占下親日反民族行為真相究明特別法」改正案を、昨日国会に提出した。歴史を正す次元からだという。しかし、ハンナラ党は直ちに、「野党弾圧及び批判マスコミにくつわをはめる行為」として反発し、国内に波紋が広がる見通しだ。
ただでさえ、いま全国は首都移転論議で病んでいる。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が首都移転反対論を自分の進退と結び付けて、特定新聞社を非難し、与党全体がこの問題を国家政策に対する理性的論議よりも、政治的な対決局面に持ち込む様相だ。地域、階層、中央政府や自治体間の反目と葛藤も深まっている。このような状況で、親日究明問題が再び社会的論議として浮び上がった。親日問題の歴史的整理という大義名分を否定するつもりはない。しかし国政の優先順位という面で、今が果してこの問題を論議しなければならない時期か疑問だ。
国民が今政界に望んでいることは、暮らしの問題を解決することである。与党も総選挙で多数党になり、大統領も弾劾から復帰した後、これを幾度となく約束した。しかし、大韓航空(KAL)機事件を再調査するなど過去の歴史を取り上げることで、政争に明け暮れ、民生は後回しだった。
政権側が、首都移転問題と関連して野党及び特定新聞社と対立している時に、親日究明法改正案が提出されたという点も注目しなければならない。法施行前に改正案が提出されたことも釈然としない。親日究明作業に政治的・政略的意図が隠れているのではないか、その純粋性を疑うしかないわけである。
国がこのように一日も静かな日がない状態で、どのようにして国政と民生が安定するのだろうか。