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KAL機爆破は北朝鮮の犯行 リリー元駐韓米大使が回顧録

KAL機爆破は北朝鮮の犯行 リリー元駐韓米大使が回顧録

Posted July. 16, 2004 22:45,   

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ジェイムズ・リリー元在韓米大使は、87年に起こった大韓航空(KAL)機爆破事件は北朝鮮が起こしたものであり、同事件によって北朝鮮は米国のテロ支援国リストに含まれた、ことを明らかにした。

リリー元大使はまた、87年6月の民衆抗争当時、全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領に会って、レーガン米大統領の親書を伝え、戒厳令の宣布を阻止したと主張した。

リリー元大使は、最近出版した「中国通——アジアにおける90年間の冒険、諜報、外交」というタイトルの回顧録で、このような内容を紹介した。

▲KAL機爆破事件〓ソウルが88年のオリンピック開催地に決まり、北朝鮮はオリンピックの共同開催を求めて韓国と交渉に入ったが、その裏では攻撃を計画していた。

87年11月29日、KAL機が失踪したという知らせを聞いた時、私は北朝鮮の仕業であると考えた。

11月31日、バーレーン空港で爆破容疑者2人が警察に逮捕され、長年に渡って北朝鮮工作員として活動した老人は、青酸カリが混入された煙草を吸って即死した。

しかし、若い女性(金賢姫)は、バーレーンのハンダーソン警察署長が、口にくわえていた煙草を奪ったことで、生き残った。ハンダーソン氏は、煙草を取るときに指をかまれ、今でも指に傷が残っている。

朴銖吉(パク・スギル)当時外務次官は、大統領選挙の数日前に金賢姫(キム・ヒョンヒ)をソウルに連行し、金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)ら他の候補よりも強硬な対北朝鮮政策を主張した盧泰愚(ノ・テウ)候補に有利に働いた。

盧候補の補佐官は、金賢姫のソウル到着で、盧候補が少なくとも150万票は追加得票したと朴次官に話した。

▲戒厳令宣布を阻止〓民主化デモが盛んだった87年6月、全大統領が戒厳令を宣布しないように、レーガン大統領の親書を持って大統領を訪れた。

6月19日、大統領府で全大統領に会った時、彼は石のようにこわ張った顔で座っていた。レーガン大統領の親書は、政治犯の釈放、権力乱用警察官に対する処罰、言論の自由など、政治発展に向けた追加措置などを勧告する内容だった。

私は状況の深刻さを話し、首相が戒厳令の宣布が迫っていると発表すれば、韓米同盟に傷をつける危険を甘受しなければならないと言った。

その日の午後、崔蹯洙(チェ・グァンス)外務長官は私に電話をかけ、全大統領が戒厳を宣布しないことに決めたと伝えた。



權順澤  maypole@donga.com