新しい最高裁判事の推薦後に、力量のある裁判官2人が突然辞意を表明したことは、大きな損失だ。特に、辞任の際に「最近、判決の公正さが重大な危機を迎えている」という言葉が出たことは、昨今の韓国司法府に対する深刻な問題提起と言わざるを得ない。
時代の変化とともに、司法府にも一定の変化は避けられないだろう。しかし、最近いくつかの判決に対して、憂慮の声も少なくない。裁判官の「良心」よりも「意識」がより重要視され、そうするうちに時流に迎合したり、権力を意識するいわゆる「進歩的判決」が列をなしているというのである。また、市民団体などで任意に最高裁判事候補を公開推薦することを意識した若い裁判官たちの「売名判決」の可能性まで持ち上がっている。
最近、裁判所の周辺で、「訴訟に勝つためには、特定の弁護士団体所属の弁護士を選任しなければならない」とか、「弁護士出身の現政府の実力者と関係や親交のある法務法人が、事件を独占している」という話が飛び交うことも、決して軽く見過ごすことではない。
司法府は、最高裁判事の推薦過程で露になった問題点と世論を収れんして、より合理的で妥当性のある最高裁判事の推薦方式を設けなければならない。保守や進歩一色の司法府よりは、両陣営をまとめる専門的で多様な人的構成が法治の具現に理想的であることは、多言を要しない。
そうしてこそ、現大統領任期中に最高裁判所長官を含む最高裁判事14人のうち13人が交替することに対して、「最高裁判所が大統領とコードが合う人物だけで埋めるのではないか」という巷の疑問を解消させることができるだろう。これと関連して、早くも現政府に対する寄与度を考慮に入れた自薦・他薦の最高裁判事候補の名前が挙がっていることは、恥ずべきことである。
すべての裁判官は、司法府の権威と地位が、裁判官一人ひとりの専門性と時流に迎合しない「良心的で苦悩に満ちた判決」においてのみ可能であるということを忘れてはならない。