新行政首都予定地が確定し発表された。国民の過半数が移転に反対しているにも関わらず、政府は予定通り推し進める考えであることを明らかにしたといえる。いわゆる「参加政府」でなぜこのようなことが可能なのだろうか。世論などは眼中にないといわんばかりで、意固地になっているようだ。
李海瓚(イ・ヘチャン)首相は予定地発表を延期しろとの野党の求めに対し、「国会の決定と国民の世論は等価ではなく、国会の決定が圧倒的に重要だ」と述べた。現政権は「世論の、世論による政権」だ。大統領選挙の際には世論調査で候補一本化を成して勝利したし、大統領弾劾訴追案が国会で可決された時も「世論の60〜70%が反対している」としてこれを認めなかった。その勢いをかって総選挙でも勝利した。その政権が今になって多数の世論を気にも留めないというのは、国民を馬鹿にするにもほどがある。しかも、新行政首都特別法には「国は国民の世論を幅広く受け入れつつ国民統合に寄与すべきだ」と明記されている。これは義務条項だ。
李首相は「今後、日常的な国政運営は首相が総括する」との大統領の意思に従って、首都移転予定地を直接発表した。この部分も釈然としない。結局、李首相が前面に出て、大統領は一歩下がった構図となった。首都移転反対を自らに対する「退任運動だ」とまで言った大統領が今になって一歩退くような印象を与えては、無責任であり、あまりにも政略的だという批判を避けられない。
首都移転に反対する声はますます高まっている。現代リサーチが先週行った調査を見ても、反対が1カ月前の51.0%から57.4%に増加した。政府が全国を巡回しながら広報に総力を上げたが、反対世論が逆に高くなってしまった。
討論の場はすでに設けられている。憲法裁判所には憲法訴願が提起されているし、国会には野党ハンナラ党によって首都移転特別委員会構成決議案が提出されている。与党ヨルリン・ウリ党さえも国民大討論会を開こうと提案している状態だ。なのに、なぜ急いで国論の二分化を煽ろうとするのか。ここで周りに押されたら最後だという現政権特有の勝負意識が働いたのかもしれないが、その副作用と後遺症がどこまで及ぶか考えてほしい。