大統領府が、「ハンナラ党の朴槿恵(パク・グンヘ)代表の性的パロディ」波紋の責任を問い、職位を解いた前国情広報秘書官を、1ヵ月あまりで国内言論秘書官に復帰させた。これでは盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の表現どおり「強引な行動」と大差ない。野党第一党の代表を性的に冒涜するパロディを大統領府のホームページに載せ、国民の怒りはもとより、国際的にも国家に恥をかかせた張本人を再び起用したのだから、野党だけではなく国民世論も眼中にないかのように見える。
この政権が「歴史の建て直し」の対象に挙げる過去の権威主義の政権下でも、このように露骨にはしなかった。あの冷酷な時代でも、過ちがあれば正して責任者は咎め、世論をうかがう振りでもした。国民の前で謝罪をしておきながら、1ヵ月でこれを覆すような「意地」を張ることはなかった。これでも、口を開けば「参加型」、「清算」と言えるのか。
より深刻なことは、相も変らぬ「コード意識」である。行政首都移転を巡り、批判するマスコミに向けて「呪いの祈りをやめろ」と言った秘書官を広報企画秘書官に重用し、「ノサモ(盧武鉉を愛する会)」の中心人物を「大統領府報道官」の責任者に内定したことがその例である。毎日、大統領にマスコミの報道とその中に含まれる民心を報告する人が、果して考えが異なる人々の見解まで加減なく伝えることができるのか疑問である。「言路」の歪曲が心配される。
「江南(カンナム)の人々はソウルの利益だけを考えるので、地方の均衡発展政策が出ることはない」という大統領の発言も憂慮される。均衡発展の必要性を強調した言葉だとしても、結局は「江南の人々はコードが違うので、行政首都移転に賛成しない」という意味に聞こえる。
慶尚道(キョンサンド)と全羅道(チョンラド)、首都圏と非首都圏にも足らず、ソウル市民を「江南対非江南」に分けるつもりでなかったのなら、慎むべき言葉であった。これだから、大統領が、主流マスコミ、さらには主流勢力との勝負も辞さないという決意と敵対心に満ちているという指摘が出るのだ。
イ・ジェホleejaeho@donga.com