青色の三角パンティーに赤いマントをかけたスーパーマンが野球バットを持って立っている姿とは…。
当時はその姿がこの上なく田舎くさかった。しかし、消え去ってから20年が過ぎた今、人々はその田舎くさいスーパーマンを懐かしがっている。
映画「スーパースター、カム・サヨン」(Mr.Gam’s Victory、17日封切り)を契機に、万年最下位チームだった三美(サンミ)スーパースターズが改めて注目されている。
最近、ネイバーなど主な検索サイトでは、一様に「甘四用(カムサヨン)」が人気検索語「トップ10」に上がっている。また、「三美スーパースターズ」も主要検索語のうち一つ。
「三美スーパースターズ」に対する強い郷愁は昨年から起きた。「三美スーパースターズの最後のファンクラブ」と言う本が出版され大きな反響を得ていたところ、仁川(インチョン)を縁故にしたSKワイバンスが突風を起こしながら、韓国シリーズで準優勝を占めたのが決定的契機だった。今回の映画の封切りは「三美スーパースターズ・ブーム」の完結版であるわけだ。
映画のホームページに感想を書き込んだあるファンは、「私も三美スーパースターズのファンでした。率直に言って、三美は謝恩品も他の球団に比べて田舍臭かったが、それでも熱心に応援しました。チョン・クソン、張明夫(チャン・ミョンブ)のような選手たちに対する記憶は今も生き生きしてます」と歓迎した。
三美スーパースターズがプロ野球元年の後期リーグで記録した勝率は1割2分5里(5勝35敗)。まだ破れてない最低勝率だ。チームが売却された年の1985シーズン前半期には、18連敗をした。これもプロ野球通算最多連敗記録。
こんな最下位チームにファンが熱狂する理由は何なのか。三美スーパースターズの投手だった甘四用氏(47)は、「この頃は皆が暮らしにくい時ではないですか。試合をするたびに負けたけど、1982年当時の三美の選手たちは本当に一生懸命運動しました。このような挑戦精神が今も必要であるからでしょう」と言った。
「試写会で映画を見ましたけど、三美特殊鋼に通っていたシーンでは、自然に涙がこぼれ落ちましたね」。
1982年当時、甘四用のボールを受けた捕手出身のクム・クァンオク現代(ヒョンデ)ユニコーンズコーチ(47)は、「ボールは早くなかったけど、スローカーブは良かった。当時、我がチームは戦力があまりにも弱かったが、たまには強いチームにも勝ったので、『お化けチーム』と呼ばれた」と回想した。
プロ元年の1982年創立されて、1985年半ばにチョンボに売却されるまで、三美スーパースターズは335試合で120勝4分211敗(勝率0.363)の成績を残した。動物をシンボルにしていた他のチームとは違って、スーパーマンをチームのシンボルにし、チアリーダーはワンダーウーマンだった。
初年度は15勝65敗(0.188)の凄惨な成績を記録したが、翌年にはニックネームが「狸」だった在日出身投手の張明夫が、チームが行った100試合のうち、約60試合に出場し、空前絶後の30勝(16敗6セーブ、平均自責2.34)をおさめながら、チームを3位(52勝1分け47敗)に引き上げた。
金相洙 ssoo@donga.com