与党ヨルリン・ウリ党の一部議員らが「安定的改革のための議員の集まり(アンゲモ)」を作って懸案ごとに実用主義的な立場で検討することにしたという。支持層から「保守派」という非難を浴びても、国のために言うことは言うというのだ。遅まきながら喜ばしいことだ。
彼らの活動をきっかけに、理念的に偏っており、手続き的民主主義も機能していないと指摘されてきた政権与党の雰囲気が変わることを期待する。少なくとも大統領の一言で国家保安法の「改正」意見は消えてしまい、「廃止」が直ちに党方針になるようなことが、これ以上ないことを望む。
「党所属議員の50%は、実際会ってみれば穏健派なのに、党全体の姿は残り(強硬な)50%の姿だけが反映している」という彼らの指摘は、決して軽く見過ごすことができない。どうして穏健で合理的な声は聞こえず、強硬改革派の声だけが聞こえてくるのか。議員個人の勇気と所信の問題でもあろうが、「改革」と「清算」がもう一つの独りよがりのイデオロギーになって党を縛り付けているからではないのか。謙虚に振り返ってみなければならない。
昨年に成立した親日真相究明法をみてもそうだ。理性と常識を持った人なら、誰でも少しさえ見れば、大小の問題点を見つけることができるという。それなのに、そのまま見過ごしてしまったというのだ。法に不備があると言うこと自体が、反改革と糾弾されまいかと、控え目な雰囲気だったというのだ。今、議論している改正案も同様だというが、このままで民主的政党だと言えるのだろうか。「参加型政府」が、ただ修辞にだけ感じられる。
意見の多様性は民主的政党の生命だ。これ以上「党内の葛藤誘発憂慮」という旧態依然の物差しを突き付けてはならない。彼らの実用主義路線が党をよりバランスの取れた責任政党に変貌させるのに寄与することを望む。重ねて言うが、民心は空虚な改革論議や過去を暴くことにはない。