04年度ノーベル受賞者が発表された。しかし、今年もやはり受賞者のリストから韓国人は見当たらなかった。金大中(キム・デジュン)前大統領が、平和賞は受賞したものの、ノーベル賞の花とされる科学賞をはじめ文学賞、経済学賞は、依然韓国人にとっては高嶺の花のようだ。短期間に世界11位の経済規模を成し遂げ、五輪の金メダルも他国に勝るとも劣らず手にする韓国人だが、ノーベル賞だけはこんなに苦手なのかと胸を焦がす思いだ。
◆ところが、いくらほしいからといって便法でノーベル賞を受賞するわけにはいかない。にもかかわらず、韓国人は特有の気短さのため、ありもしない近道を探すために、あちこちに一生懸命顔を出したりもする。ノーベル委員会の関係者に顔を利かせるために、群がってスウェーデンに押しかけたり、五輪代表チームの強化訓練のように特殊機関を設立し、ノーベル賞を目指して研究させるべきだと主張したりもする。このような異常な加熱気味に対し、韓国を訪れたあるノーベル賞の受賞者が口にした言葉がある。「ノーベル賞を目標に研究しては、決してよい結果が得られない。そして、科学研究の裾野が脆弱な状態で、ノーベル賞を受賞したところで、韓国の科学技術にどれくらい役に立つだろうか」
◆もっともらしい言葉だ。しかし、この大学者が知らないことが一つある。ノーベル賞が、少なくとも韓国人の胸に無意識的に刻み込まれている「ノーベル賞コンプレックス」を取り払うには効き目があるだろうということだ。韓国人の「ノーベル賞コンプレックス」は、さまざまな形で現れる。まず、国内の学問レベルは頭から見下し、無条件で外国のものを高く評価することだ。例えば、大学で教授を選ぶ際に、国内博士より、外国博士を好む。韓国経済の状況に対しては、国内の専門家も多いはずだが、外国人の一言がものを言う。最近、世界経済フォーラム(WEF)の国家競争力評価に対する受け止め方がその最たる例だ。
◆しかし、われわれがいくらノーベル賞は受賞できなかったとはいえ、われわれの水準が外国人の顔色ばかり伺わなければならないほど最低のものではない。医学的にはコンプレックスを「隠された潜在的感情の複合体として、非正常な反応を起こす原因だ」と説明する。これからは、このコンプレックスを追い払い、あるがままを見れるほどは成熟すべきではないのか。
オ・シェジョン客員論説委員(ソウル大学教授・物理学)sjoh@plaza.snu.ac.kr
sunjung71@hotmail.com