Go to contents

雀おかゆは王様のバイアグラだった

Posted November. 05, 2004 23:16,   

한국어

●朝鮮(チョソン)王朝の王様は現代人と似ていた

「おいしい」「いつも食べている食べ物なのに味が違う」

水刺間(王様の食事のための台所)の宮女が主人公に出る歴史ドラマを視聴した、特に男性視聴者たちは「王様の運命とはまったくもう…」と言いながら舌なめずりをしたことが多かったはずだ。最高実力の板前たちが一生懸命料理を作って出すと、味をみて一言ずつ述べるのが王様の仕事の一つだから。またはドラマでそのように映ったから。

しかし、羨ましがることはない。

「昔の人の中で現代人と似ている条件で生活した人を捜してみれば、まさに『王』だ」。現役の漢方医である著者の診断だ。

十分な栄養摂取に比べてとても少ない運動量、激務と絶え間ないストレス…。それで朝鮮時代歴代の王様たちは肥満と糖尿、高血圧などあらゆる成人病に苦しんだ。血液循環が円滑でないため眼病とお出来がいつも付きまとう生活だった。

でも、れっきとした王様なのに対策がなかったはずがない。ドラマで見るように、最高の板前たちと当代最高の医者たちが待機していた。昔の王様たちのように十分な栄養と過度なストレスの中で体を十分動かさず暮す私たちも彼らの秘方から望ましい養生法の手がかりを見つけることができないか…。

●食事は少なめに一日5食…健康のためにお酒をお勧め

まず、食事について話せば、朝鮮の王様たちは少ない量を数回に分けて規則的に食べた。一日5食だから準備もたいへんだったはずだ。それにいつも旬の料理が出た。春には山菜盛りの五辛盤(オシンバン)、夏の端午の日には熱を下げる天然清凉剤である醍ホ湯(ジェホタン)、秋にはふんだんな新穀と果物、冬には牛足を煮こんで固めた煎藥(チョンヤク)などを食べた。

お酒も養生術の一部だった。世宗(セジョン、朝鮮第4代王)大王が干ばつを心配してお酒を飲まない度に臣下と語義たちが同じ言葉で健康を心配して飲酒を勧めた。宮廷醸造法の一部は大闕外と伝わって今日慶州(キョンジュ)の校洞法酒(キョンドンボプジュ)など銘酒として再誕生した。

運動も多くの王様たちがまともに従わなかっただけで原則的に強調された。耳慣れない話かも知れないが王様たちもゴルフをした。私たちが西洋の「ポロ」と似ている試合で知られている撃毬がそれだ。馬に乗らず穴にボールを入れる撃毬もあったのだ。

ボールはたまごの大きさでおはじき玉を削って作っており、クラブは厚い竹と水牛の皮で作った。いくつかのクラブを使ったことも今日のゴルフと同じだ。早く打たなければならない時は皮の薄いクラブを使った。

その他にタカ狩りと弓を射ることも王様たちが楽しんだ運動だった。弓術は精神集中力と節制力を培ううえ、丹田呼吸の効果まであって君主の運動としては最高だった。

●朝鮮君主の平均寿命は46歳…概して長寿

「夜の生活」も当然健康に影響を及ぼす大きな要因だった。宮廷の內侍(王に仕える男性)たちは「20歳まで一日に2回、30歳まで一日に1回、40歳まで三日に1回…」に制限する「玉房秘訣」を覚えていた。陽気を掻き立てる代表的な食べ物では雀を入れて作ったもち米おかゆがあった。王様がこのおかゆを食べた日、王に仕える宮女はたいへん苦労したという話も伝わる。

このようにあらゆる真心を尽くしたが、実際朝鮮の君主27人のうち燕山君(ヨンサングン、朝鮮第10代王)、光海君(クァンヘグン、朝鮮第15代王)を除いた25人の平均寿命は46歳余りだった。「王も何もないね…」と言うこともできるが、過度な栄養と仕事上のストレスなどを考慮すれば悪くない成績表だった。それに早く亡くなった王様たちは、大部分主治医のアドバイスを無視するか、非専門家を引き入れて寿命を早めたという分析だ。天下を号令する王様でも食べることで自然の理に逆えば害に遇うしかなかったのだ。



劉潤鐘 gustav@donga.com