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年よりが何で監督デビューかって?

Posted November. 24, 2004 23:10,   

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「あの、ただ一度だけ見てくれませんか?え?見ないんですか?あ〜一度見てよ」

12月3日封切りの映画『ふざけるな』予告篇に出る主演俳優であると同時に監督の呉知明(オ・ジミョン、65、写真)の言葉だ。周辺の髪の毛は剃って中部分だけ残しておいた「ホナウド」ヘアスタイルに、特有の口どもりがつながるや、客席では「クックックック」と堪えられない笑いが吹き出る。

演技経歴45年、65歳で映画監督としてデビューした呉知明に、19日ソウル鐘路区世宗路(チョンログ・セジョンロ)のあるカフェーで会った。

映画は、仲間ドンパル(キム・ハクチョル)の裏切りで、15年間を監獄で過ごしたゲトク(呉知明)、ビョクドル(崔佛岩)と二人の面倒を見たサンボク(ノ・ジュヒョン)の組織暴力団3人組みの人生逆転を描いたアクションドラマ。三人は復讐を夢見るが、実際にドンパルが監獄に入れられるや、ドンパルの娘ウンジ(イム・ユジン)を警護するボディーガードになる。

——映画タイトルがなぜ『ふざけるな』か。

「シチュエーションコメディ作家3人に『宿題』を出したら、タイトルが60個も入った。その中で選んだんだ。ちょうどヨルリン・ウリ党の「鄭なんとかさん」は60代以上は投票するなと言うし、「柳なんとかさん」は若い人と年寄りの脳細胞は違うと言うし…。こんな言葉にしばらく頭に来たが、そんな中でタイトルを決めた。一言で年寄りを無視せず、ふざけるなということです」

——崔佛岩(チェ・ブラム)、ノ・ジュヒョンさんをキャスティングした理由は…。

「(崔)佛岩は同じ年で若いときからの知り合いです。韓国人の親方、国民俳優などよく包装されている。こうしたイメージを覆したかった。それでは笑わせるしか。ジュヒョンは年下なんだけど、佛岩や私のようにデコボコじゃなく、ハンサムな顔付きでしょう。観客たちの目を楽しませるために」

——どうして今になって監督デビューをしたか。

「最初は製作ばかりしようと思ってた。ところでシナリオを見た康祐碩(カン・ウソク)監督と「シネ2000」の李チュンヨン代表がストリーは面白いが、俳優が製作して成功した前例がないと引き止めたんです。そうして投資を引き受けた会社で私が昔シナリオ公募にも当選したし、シチュエーションコメディの企画もたくさんしたから、直接演出しなさいと言うんです。私がしなければ映画をあきらめるというから仕方ないでしょう」

——風呂の場面を見たら、お腹に「王様の王の字」が刻まれている。60代のナイスボディーですね。

「若いとき運動をちょっとしたんです。あのとき、運動した『跡』が少し残っていて」

呉知明は若いファンに「呉博士の人々」「順風産婦人科」などを通じて「シチュエーションコメディのゴッドファザー」またはコメディアン程度としてしか知られていないが、50本余りの演劇に出演しており、60、70年代にはおよそ150本の映画に出演したアクション俳優だ。

——どうシチュエーションコメディをするようになったか。

「1992年当時SBS副局長だった李南基(イ・ナムギ、現在SBS製作本部長)がどうしてシチュエーションコメディをしないかと電話をした。シナリオを一つもらったがつまらなかったよ。それで当時、人気作家の(金)ウンギョンに米国のシチュエーションコメディ「コスビー」家族をコピーして2回分だけ書いてほしいと言ったんだ。自分の立場でコピーすると終わりだと言うのに、無理に頼んで似たようなものを結局受け取った。このシチュエーションコメディがよく定着して話題になった」

——シチュエーションコメディの雰囲気と違い、笑いがほとんどない方だ。笑いとは何だと思うか。

「生きることそのものがコメディだ。そして私が生きることそのものがコメディだから、そのまま見せればいい。私はコメディアンという言葉が聞きたくないというより、光栄に思う」

——監督デビューの感想は…。

「大学で経済学を学んだが、当時、最高の職場が銀行で給料が8000ウォン程度だった。銀行員よりは俳優がましだと思った。今考えてもいい決定だった。ところで演技しながらの40年余りより、監督しながら過ごした4、5ヶ月の間に、人生の勉強をもっとたくさんした。監督という職業も見直したし、俳優という職業も見直した。私がまた演出するチャンスがあるでしょうか?(笑い)」

映画観覧は15歳以上。



金甲植 dunanworld@donga.com