政府が国家機密に対する資料要求を拒否できるように関連規定を変えていたことが、後になって明らかになり、論議が起こっている。政府は昨年12月、「国会及び政府与党協力業務指針」を改正して、国会議員の軍事・外交・対北関係に関する国家機密資料要求及び対面説明を拒否できるようにした。
世界的に国家機密は、国民の知る権利からの例外と見なすのが一般的な傾向だが、今回の措置は、政府が国家機密を恣意的に判断する余地を過度に広げ、知る権利という基本権との衝突を招いている。
各国は「国家機密の保護」と「知る権利」という相反する価値がぶつかった時、国家機密かどうかに対する判断を政府ではない法院の決定に従うようにしている。これは、政府が国家機密を口実に知る権利を任意に裁断することを警戒するためである。
このような基準で見た場合、今回の措置が国益守護の次元で不可欠だと主張できるのか疑問だ。軍事機密の場合、2級機密が22万件、3級機密が36万件に至ると集計されている。軍事機密の指定が便宜的で無差別に行なわれていることも問題だが、このような不合理な状況で、政府の機密資料拒否権が乱用されれば、必然的に国民の知る権利の重大な侵害につながるしかない。
政府が03年9月に導入した「開放型ブリーフィング制」は、マスコミの反対にもかかわらず強行されたが、結果は知る権利に対する深刻な制約として現われた。政府が活性化するというブリーフィングは、当初の約束とは違ってお粗末きわまりなく、事務所への直接取材を禁止して記者たちは貧弱な電話取材に依存するしかないのが現実だ。
この制度が、マスコミの自由な取材活動を阻止するための手段に過ぎなかったという指摘に政府は何と弁解するのだろうか。
今回の措置も同様の道を歩まないとの保障はない。政府のマスコミ政策と「知る権利」に対する認識が、閉鎖一辺倒に流れてはいけない。これでは「参加型政府」とは言えない。