首相室傘下の「光復60年記念事業推進委員会」の乱脈ぶりを暴露した金相秀(キム・サンス)企画専門委員(47)が18日、日本東京の隅田川を訪ねた。その川に掛けられている吾妻橋で金委員に会った。
「約80年前、関東大震災の時、亡国の流民になった韓国人が竹槍に刺されてこの川に投げられた。助けてくれという悲鳴の声がまだ聞こえてきそうだ。そうした痛ましい過去を乗り越えて、未来に突き進もうとする行事が暗礁に乗り上げたため、私の意志を改めて確認したくてここへやって来た」。
波紋は12日、金委員が自分のインターネットホームページを通じて、推進委内部の「私党的連中」を痛烈に批判した書き込みを掲載したことから始まった。
「今回の事業を大統領訓令に基づいて推進することを主張したまじめな公務員が委員会で解職された。組織を掌握した一部の勢力が気に入らないとして首にしたものだ。彼を復帰させるべきだと強く主張してから、事が大きくなった。所信ある公務員を挫折させる奇形的な構造を正しく見直さなければならない。これが私たちが期待していた参加型政府なのか。だんだん『孤立政府』になりつつある」。
金委員は、政治家が既に構築しておいた「システム」に芸術人が単に付き添いになるわけにはいけないと考えている。
「非専門家が芸術事業を歴史的な意味とかけ離れた事業にしようとしている。開発独裁を連想させる言動、旧態依然としたパラダイムで、どうやって光復60周年を語れるのか。システム全体を変えようと言う私に、彼らは事業プロジェクトをいくつか与えようとした。受け入れられなかった」。
専門委員の「正式委嘱」を頼んだものと知られたいることに対して、金委員は、「文化観光部から委嘱の連絡を受けて、800枚の名刺までもらって昨年12月23日から仕事をしてきた。今さらどうしてそんな言葉が出るのか」とあっけに取られる様子だった。
金委員は高校中退後、劇作家でデビューして映画「学生府君神位」の脚本で大宗賞脚本賞を受賞した。設置美術家、テレビドラマ制作者、写真集と社会評論集の著述など、様々な活動を展開してきた。彼の「独り善がり」な性格を批判する声もある。
「芸術作業は独自的な意志なしには成り立たない。しかし、他人の協力なしにも不可能だ。私の性格を取り上げるのは、事態の本質を歪曲しようとすることだ。国レベルの芸術・学術行事の推進機関を非専門家の政治周辺人物に埋めることとそれを公開した私、どっちがもっとおかしいか」。
金委員は自分が推進委で完全に手を引いたように報道された内容を否定した。
「私は今も企画専門委員だ。仕事をまともに遂行できる人々に入れ替えられるまで、持続的に問題を提起するつもりだ。意味のある行事を最高の行事に仕上げるため、全てのことをやる。姜萬吉(カン・マンギル)委員長に対する信頼が大きい。あの方の本を読んで、韓国の現代史を学んだ。姜委員長は流れた歴史先生ではなく、生きている歴史先生でいるべきだと信じる」。
金委員は推進委が再び設置されるべきだと主張した。
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