文化財委員会が、今年の光復節(クァンボクジョル、8月15日)前までに、朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領が書いた光化門(クァンファムン、景福宮の正門 )の看板を取り替えるという兪弘濬(ユ・ホンジュン)文化財庁長の計画に待ったをかけた。
同委員会は20日、建造物、動産、史跡、文化財制度の4つの分科会が集まる合同会議を開き、「光化門を高宗(コジョン、朝鮮時代26代の王)時代に再築した(1865年、写真)本来の場所に移し、月台(ウォルデ、宮殿の前面に作られた高くて広い階段)と一緒に復元した後、看板の取替えを行う」ことを決めた。これにより、今年の7、8月に予定されていた文化財庁による看板取替えの計画は流れることになる。
同委員会の鄭良謨(チョン・ヤンモ)委員長は、会議の後「看板を取り替えることに意見はないが、看板というのは建物の落成後に付けるものであるだけに、復元に合わせて取り替えることに意見が集まった」と説明した。
さらに同委員長は、「光化門の前に広場を作り、光化門から景福宮(キョンボクグン)の勤政殿(クンジョンジョン、景福宮の本殿)に入ることができるようにするとともに、光化門の外観だけでなく建物の内部も考証を徹底し、復元するよう勧告することにした」と加えた。
光化門を再築当時の姿に復元するには、現在の場所から14.5メートル南に前方配置し、本来より東に約5.6度ずれているのも直さなければならない。そのためには、現在の場所から少なくとも50メートル前までの空間を確保する必要がある。
そのため、文化財庁はソウル市と話し合い、光化門前に大規模な公園を造成し、光化門前を通る今の東十字閣(トンシプチャガク)から社稷壇(サジクダン)までの直線路を廃止し、政府中央庁舎前の駐車場と文化観光部の横にある公園を新しい広場に組み入れ、弓の形に道を作る計画だ。しかし、この計画が完了するには少なくとも2〜3年はかかるとみられ、光化門看板の取替えもそのときになってやっと実現する見通しだ。
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