弱者のためだという政策が、弱者をさらに苦しめるのであるならば、それは政策ではない。それを知りながら、変えようとしない政府もまた、正常な政府ではない。不動産から教育に至るまで、多くの政策がむしろ両極化を煽り、弱者の苦痛だけを招いているにもかかわらず、謙虚な自省がないならば、果して信じて頼れる政府と言えるだろうか。
現政権は、1ヵ月も経たずに相次いで不動産対策を出したが、ソウルの江南(カンナム)の住居価格は急騰し、江北(カンブク)の価格は下がって、格差はさらに広がった。無差別な税金攻勢で、庶民だけが住宅取引きを中止し、住居価格の下落、税金上昇の三重苦に苦しんでいる。国土を改造するように地域開発を推進したが、地価の急騰で庶民の生活はさらに苦しくなった。
「均衡発展」という名分と「江南の住居価格だけ抑えればよい」という具合の偏狭な考えで、首都圏の住宅供給に背を向けたため、江南に代わる高級住宅団地の建設は、二の足を踏むしかない。結局、忠清(チュンチョン)圏と近くの江南、そして首都圏南部の不動産価格だけを急騰させたのである。
教育でも「平等」と「均衡」というコードが、多くの問題を生んでいる。今のような平準化体制では、能力があり優秀な底所得層の生徒が、主に被害を受けることになる。ソウル大学のある研究によると1985年当、時高所得層のソウル大学社会科学大学入学生数は、一般家庭出身の1.3倍だったが、今は16.8倍に拡大した。にもかかわらず、政府は「3不政策」に固守している。日本では、民間企業であるトヨタ自動車まで直接英才学校を作って、人材養成に乗り出しているにもかかわらず、韓国だけが「平等主義」という時代錯誤的な幽霊に捕らわれているのではないだろうか。
無論、平等は自由とともに民主主義の核心価値である。しかし、それは「機会の平等」でなければならない。何が何でも「結果の平等」に執着すれば、結果の不平等がさらに深まるのが世界の長年の経験であり、韓国がいま目撃している現実である。にもかかわらず、このような理念型経済政策と教育政策を煽るために、「国政システムの誤作動」と「弱者の危機」が深まっているのである。
17日に盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が開く大統領府不動産対策会議は、単に住宅価格を抑えるだけの論議に止まってはいけない。根本的に市場原理に合った経済政策を模索する場にならなければならない。板橋(パンギョ)新都市にしても、均衡と公平のコードのために副作用が大きくなっている。より良い住居環境と住宅を望む需要に応じていたなら、江南の住居価格の暴騰は阻止することができた。
公平と均衡を掲げて、今のように市場を抑圧し続けるなら、政府も望まない悪循環だけが定着するだろう。