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朝鮮王朝の悲運の末裔、安らかに

Posted July. 25, 2005 03:04,   

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朝鮮王朝の最後の嫡統が歴史の中に消えた。

高宗(コ・ジョン)の孫であり、英親王(ヨンチンワン、李垠)と李方子(イ・バンジャ)女史の次男李玖(イ・ク)氏の告別式が24日午前10時、ソウル昌徳宮煕政堂(チャンドククン・ヒジョンダン)で行なわれた。22日に王世孫葬儀委員会場で行なわれた告別式は、故人の養子となった李源(イ・ウォン)氏(44・現代ホームショッピング部長)が喪主を務めた。

告別式には、李海瓚(イ・ヘチャン)首相と葬儀委員会共同委員長を務めた李桓儀(イ・ファンイ)全州李氏大同宗約院理事長、兪弘濬(ユ・ヨンジュン)文化財庁長、民主党の李洛淵(イ・ナグヨン)、ハンナラ党の朴振(パク・チン)議員、卜部敏直・駐韓日本代理大使、日本王室側の梨本氏と全州李氏宗親会員および市民約1000人が参列した。

日本の小泉純一郎首相と町村信孝外相の名前の弔花も目についた。しかし、「故人の逝く姿を必ず見たい」と言っていた前妻のジュリア(82)女史は姿を見せなかった。宗約院側は、「遺族ではないので、ジュリア女史を招待しなかった」と説明した。

告別式が終わった後、霊柩は国軍の3軍儀杖隊11人によって昌徳宮敦化門(トンファムン)の前でトラックを改造した大輿(国喪の時に使う喪輿)に移された。ソウル女子商業高校の吹打隊、国防部の国楽隊などで構成された大吹打隊が、運柩行列の先頭に立って、25旗の輓章(死者を悼む詩を書いたのぼり)がその後に従った。位牌を乗せた御輿と大輿がその後に続き、屈巾と喪服を着用した宗廟祭礼保存会所属会員約600人、黒い服と白い韓服を着た全州李氏宗親会員らが大輿の後に続いた。

運柩行列は、11時50分頃、宗廟公園の前に着いて路祭を行なった。

同日、敦化門前の三叉交差点から宗廟公園までの通りには、摂氏33度を超える猛暑にもかかわらず、市民約3000人(警察推算)が訪れ、運柩行列をカメラにおさめるのに夢中だった。

20分に渡る路祭の後、遺体は、御駕(王が乗る車)模様の黒い霊柩車に載せられ、京畿道南楊州市(キョンギド・ナムヤンジュシ)の洪陵(高宗と明成皇后の墓所)の後ろの英親王の墓地(英園)に移された。下官式は午後2時半に始まり、45分間行なわれた。

全州李氏大同宗約院は同日、李玖氏に懐隠(ヒウン)という号を与え、墓所の名前は後に決めることにした。普通、王子の墓所には「園」を付ける。宗約院側は墓所で、26日に再虞、27日に三虞祭を執り行ない、25日から昌徳宮の楽善斎(ナクソンジェ)に喪庁を設け、3年葬を執り行うことにした。



kplee@donga.com mindy@donga.com