政府の意の英語である「ガバーメント」は、もともと「船のかじをあやつる」という意味だ。権力のかじを取って操舵する人への不信感は、古今東西で変わらない。権力の壟断(ろうだん)という場合の「壟断」は、『孟子』に出る故事から由来する。高い壇上から市場を見渡して利益を取る行為を指す。民の手が届かない操舵室、すなわち高い所の政府とそれに属する役人の壟断は、常に警戒しなければならなかったものだ。
◆「政府というのは一番上のところから水漏れする唯一の器だ。」 米国の伝説的コラムニストであるジェイムズ・レストンの鋭い一言だ。ロシアの小説家のトルストイも、「政府とは全人民に暴力を振るう人たちの集団」とまで言っている。それだけ政府は危うい存在であり、監視の目を怠ってはならないという意味だろう。そのため、民主主義の歴史は政府に対する監視とけん制の手立ての強化とともに発展してきた。
◆政府に対する監視とけん制には、言論も一役買ってきた。しかし、「操舵室での排他的な壟断に味を占めた役人」は、頑強に抵抗してきた。「新聞のない政府と、政府のない新聞で選ぶなら後者」と言い切ったトーマス・ジェファーソンも実際の行動は違っていたと、作家のリチャード・センクマンは話す。ジェファーソンは米国の大統領になったあと、敵対していた新聞を名誉毀損で訴えるよう、政府に働きかけたという。権力の二つの顔だ。
◆言論に対する「政府の自衛権」を云々する声が大統領府から出た。「事実を歪曲するメディアに対し、協力を拒否するのは取材源(政府)の自衛権」というわけだ。1989年の国会光州(クァンジュ)事態聴聞会で「自衛権」という言葉が出て以来、耳にするのは2回目だ。市民への発砲を軍の「自衛権」といっていたが、「罪のない市民の虐殺が自衛か」と猛反発を買った。自衛権はトラがウサギに対して持つ権利ではない。不動産政策の間違いで苦しむだけの「ウサギ」の「知る権利」を手助けする言論に対して言うべきことではない。「政府の自衛権」という言葉を、今の「参加政府」から聞くとは皮肉なことだ。あきれるばかりだが、「言論のせい」にするのは、いつになったら終わるのだろうか。
金忠植(キム・チュンシク)論説委員、skim@donga.com