青、白、赤のフランス国旗は何を象徴するのか。こんなクイズが出されれば、我々はフランス革命の精神である自由、平等、博愛だと答えるだろう。本当にそうなのか。著者である金ウンジョン忠南(チュンナム)大史学科教授はこれを、根拠の弱い西欧礼賛の発露にすぎないと批判する。
三色旗が初めて登場したのは、フランス革命勃発3日後の1789年7月17日だ。国民防衛隊司令官であるラファイエットが、パリを象徴する赤と青の2色の徽章に、フランス国王旗の色である白を入れて作ったのだ。それは、国王と革命パリが手を握ったという意味だった。
また、3大精神はフランス革命の標語ではなかった。1848年、第2共和国憲法に規定された標語だった。三色旗と3大精神をつなぐ根拠は、1958年、第5共和国憲法第2条で、三色旗を国家象徴物として規定しながら、共和国の標語として3大精神を一緒に規定したにすぎない。
特に、3大精神の中で、博愛に翻訳される「fraternit′e(兄弟愛)」は、博愛という高潔な意味とは距離があった。この単語は、「兄弟愛を、しからずんば死を」という掛け声に表れるように、国内外の同志と敵を区別する暴力的意味を帯びていた。そのような点で、自由が自由主義、平等が社会主義を生んだなら、兄弟愛は民族主義を生んだ、と著者は説明する。
本書は、このように神話化した西欧近代歴史の裏面を、12のテーマに分けて暴き出す。それは崇高な大義名分を立てた西欧革命の身の毛もよだつ面貌を垣間見せてくれるものであり、「宗教の自由」を唱えた宗教改革が、二律背反的でいかに独善的だったのかを暴露することだ。また、近代化に正当性を付与するため、暗黒期と烙印を押された中世と、絶対王政期の肯定的側面を復権させることでもある。
無血革命という賛辞が冠せられる英国革命は、英国史上、最も血なまぐさい戦争に数えられる第1次世界大戦よりも高い死亡率を記録したという研究結果が出るほど、血に染まった内戦だった。フランス革命期間には、バンデ地域の内戦だけで20万人が虐殺され、対外戦争で200万人のフランス人が死亡した。ロシア革命は、犠牲者が少なく見積もっても5500万人に達するほど、恐るべき悲劇を生んだ。
マックス・ウェーバーが近代資本主義の精神的土台を築いたと評価したカルヴァンは、「私の宗教の自由」を主張しながら、「相手の宗教の自由」は認めなかった暴力的思想家だった。カルヴァンの指導の下にあったジュネーブ市の人口は1万6000人に過ぎなかったが、彼の初統治5年の間に、13人が絞首台にぶら下げられ、10人が首を切られ、35人が火刑され、76人が追放された。
農奴が結婚する時、封建領主やカトリック師弟が農奴の花嫁と先に同衾できる権利を意味する初夜権は、封建時代に終止符を打って中央集権を確立しようとした君主と、旧体制を批判しようとした啓蒙主義者たちの協同が作り上げた神話である可能性が高いという根拠も提示される。
著者はまた、西欧の民族が、近代につくられた「想像の共同体」であるという点を強調し、「史家の任務は、伝統づくりを先導するのではなく、『創られた伝統』の虚偽を公開すること」と述べる。そのような脈絡から、ナショナリズム(nationalism)を、参加意思でその構成員が決定される国民主義と、血統という排他的基準で構成員が決定される民族主義に区別することを提案する。また、依然として歴史ではない国史に固執する韓国民族主義歴史学界を批判する。
西洋史学者として膨大な史料を提示しながら西洋史の神話化を批判し、民族主義の克服を主張する彼の論理は明快だ。しかし、中国の東北工程を批判する文章を3編しか読まなかったという著者が、「韓国の学者たちが、高句麗(コグリョ)史がなぜ韓国史なのかについての証拠を提示していない」と批判する部分では、明快さの対価として、東西の均衡性を失ったのではないかという憂慮が残る。
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