2002年11月28日、ハンナラ党の金栄馹(キム・ヨンイル)事務総長(当時)が公開したA4用紙27枚分の資料には、国家情報院(国情院)が与野党の政治家とマスコミ各社の社長、現場の取材記者、企業家など各界各層を対象に盗聴したという内容が盛り込まれていた。
盗聴時期は民主党の大統領候補選びレースの真っ最中だった02年3月8日から28日まで。いわゆる「盧ブーム」が巻き起こり、盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補が浮上したときだった。実際、盧候補の名前が盗聴資料のいたるところに登場していた。
当時、この盗聴資料は誰が作成し、どんなルートでハンナラ党に流れたのだろうか。
金栄馹総長は「国情院の内部資料を入手した。具体的な入手経路は内部告発者の保護のために明らかにすることができない」としたが、政界の内外では鄭亨根(チョン・ヒョングン)議員が「背後」として名指しされた。
情報通の鄭議員が国情院側から資料を入手し、数ヵ月間保管し続け、盧候補と国民統合21の鄭夢準(チョン・モンジュン)候補との電撃的な一本化成功後、「第2の盧ブーム」が巻き起こる兆しが見えると、資料の暴露に踏み切ったというのだ。
しかし、鄭議員は「その資料は私とは関係ない」と主張してきており、金総長も出処については明らかにしなかった。結局、出処は明るみにされなかったし、大統領選挙が終わった後、盗聴攻防もうやむやになった。
しかし、その後、国情院サイドからは「それは我々が盗聴したもの」という話がよく聞かれた。国情院のある関係者は26日「ハンナラ党が暴露した盗聴資料は、国情院の文書形式と活字体は違うが、内容は合っている。誰かが盗聴資料をメモした後、資料として作り直してハンナラ党に渡したか、ハンナラ党が国情院の職員からメモを渡され、それを編集したものだ」と述べた。
一時、国情院内部では情報流出の容疑者に科学保安局所属の課長が名指しされたという。ある消息筋は「辛建(シン・ゴン)院長在任時には容疑者として名指しされたその課長に対して調査をしなかった。調査をすることになれば盗聴を自認する形になるからだ」と話した。
この消息筋は、「高泳耉(コ・ヨング)院長の就任後、調査が行われた可能性があるが、その課長はまだ現職にあると聞いている」と話した。このような事情のため、今回の検察の捜査で資料流出者が明らかになることについて、国情院内でも神経をとがらせている。
一方、ハンナラ党の李貞鉉(イ・ジョンヒョン)副スポークスマンは同日、論評を出して「当時、盧候補はテレビ討論で、盗聴資料は事実ではなく、ハンナラ党内の工作専門家らがつくったものだと断言した」とし、「これは盧候補の大統領当選が法的、政治的、道徳的に認められない重大な問題になりうる」と主張した。
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