「まるで夢のようで、胸がどきどきする。故国訪問の日を楽しみにしている。」
ロバート金(金采坤・キム・チェゴン・65)氏が自由の身になった。1996年以来7年8ヵ月の受刑生活を含め、9年1ヵ月ぶりに得た自由だ。
金氏は5日、「米国のバージニア州の東部地裁が4日(現地時間)、保護観察執行停止申請(8月2日)を受け入れた」と明らかにした。これを受け、金氏は当初07年まで予定されていた保護観察を同日で終了することになった。
金氏は1996年9月24日、米海軍情報局(ONI)のコンピュータ分析官として働き、韓国に国家機密を漏らした容疑で米裁判所から懲役9年と保護観察3年を言い渡され、連邦刑務所で受刑した。02年に減刑を受け、04年に釈放された彼は、バージニア州アシュバーンの自宅で07年まで保護観察を受けることになっていたが、予定より2年早く終了したものだ。
担当判事は「金氏が韓国に手渡した書類が米国の安保にとって大きな脅威となっていないうえ、すでに10年前のことであり、金氏が7年8ヵ月の受刑生活と1年間あまりの保護観察を模範的に行ったため、刑執行を終了する」と述べたと金氏は伝えた。
米法務省は、金氏の保護観察の中断に反対したが、裁判所は金氏側の申請事由を認め、このように決めたものとされる。
今回の米裁判所の保護観察執行停止で、予定より早く自由を得たのには、真実を解明しようとする彼の執念深さによるところが大きい。
韓国政府は金氏が、米国の市民として実定法に違反したため、介入する名分が不足しているという理由から、始終消極的な態度だった。彼は昨年7月に出版された自叙伝「家に帰る」で「及び腰だった韓国政府の態度は、私を憂鬱にさせた。裏切られた気持ちでいっぱいだった」と内心の怒りをもらした。
しかし、金氏は「祖国の助け」を黙って待ってばかりはいられなかった。本人はもちろん、弟の家まで売って弁護士を選任し、粘り強く立ち向かってきた。以後、これといった成果が挙がるたびに、金氏は自身が直接法典を読んで裁判に必要な書類を準備し、一人で移刑申請のみならず、減刑申請と刑量再審請求などを行った。
韓国の後援者たちは、彼の仮釈放の1年前である03年7月、「ロバート金後援会」を立ち上げた。後援会は、長い法廷闘争と受刑生活で破産に追い込まれ、生計を立てることさえままならなくなった金氏家族を物心両面で支援した。
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