金鍾彬(キム・ジョンビン)検察総長が、姜禎求(カン・ジョング)教授に対する千正培(チョン・ジョンベ)法務部長官の「非拘束捜査」指揮を受け入れることで、「政治家長官」が特定事件の身柄拘束可否を決める悪先例を残すことになった。金総長は捜査検事らの意見を貫くことができず、結果的に検察の政治的中立を傷つけられたという点で、その権威に大きな打撃を被った。
一般検事らは金総長が「殉死」してでも長官の指揮を拒否して政界の不当な関与を防ぐ防波堤の役割を果たしてくれることを期待した。政界に押された検察総長が、果たして法を立て、動揺する一般検事らを安定させることができるのか、疑問だ。
金総長は「長官の指揮に従わなければ検察は統制されない権力機関という批判を受けるようになる」と述べた。さげすまれた検察トップの発言としては腰が抜けている。一度も行使されたことのない法務部長官の指揮権を利用して「非拘束」を推し進めた政権こそ「統制されない権力」だ。
法務部長官が全面に出て「被疑者の人権を考慮して非拘束で捜査せよ」と指揮すること自体、ナンセンスだった。検察総長が拘束指揮をして、法務部長官が指揮権を発動する騒ぎが起きたが、身柄拘束についての最終的判断は警察、検察や法務部のすることではない。これは司法府の固有権限だ。証拠隠滅及び逃走の憂慮と人権に対する考慮も最終的に司法府がすべきことだ。
令状と拘束意見書によると、姜教授は北朝鮮労働党・統一宣伝部所属の反帝民族民主前線と韓総連の行動指針に理論的枠組みを提供した。与党は姜教授の時代錯誤的な利敵性にそっぽを向いて非拘束を貫くことで、大韓民国のアイデンティティを否定する行為に道を開くという愚を犯した。
汚辱を選んだ「金鍾彬検察」が、今ももし名誉と権威を回復することができるとすれば、学問と表現の自由が認める境目を越えた親北朝鮮活動の実体を徹底的に解き明かすことだ。そして、身柄拘束に関しては司法府の判断を受けなければならない。そして法務部長官が特定事件の拘束可否に介入するとうなことが、二度とあってはならないのだ。