国家情報院(国情院)による不法傍受について、3度にわたって検察の捜査を受けた李秀一(イ・スイル)前国情院次長が自殺した。検察の取調べと李氏の自殺に、どのような因果関係があるのか、現在のところ、わからない。自殺は当事者の性格や心理状態とも関係が深いため、検察の取調べに無理があったと断定するのも難しい。大検察庁の真相調査団は、取調べの課程に無理はなかったのかを厳密に突き止めなければならない。真相調査団には検察外部の専門家もともに参加し、公正性と客観性をそなえた方がいいだろう。
李氏の自殺は残念だが、傍受に関する捜査が、それに影響されることがあってはならない。国情院の傍受は、中央情報部が創設された第3共和国以来、犯され続けてきた国家犯罪だ。独裁時代はともかく、民主化時代に就任した大統領さえ傍受を根絶できなかったのは、生々しい傍受情報が、為政者にとって断れ切りがたい誘惑であることを示している。徹底した捜査と処罰の苦痛なしには国情院の根強い傍受文化が決して消えない理由である。
しかし、捜査の目的が正当だからといって、被疑者の人権が侵害されるようなことがあってはならない。昨年、検察の取調べを受けた鄭夢憲(チョン・モンホン)現代峨山(ヒョンデ・アサン)理事長、安相英(アン・サンヨン)釜山(プサン)市長、朴泰栄(パク・テヨン)全羅南道知事、李ジュンウォン坡州(パジュ)市長らが相次いで自ら命を絶った。このようなことが発生してから、法務部と検察の幹部らが数度にわたって人格を尊重する捜査を強調してきたにもかかわらず、再び自殺事件が起きたことについて、検察は責任の一端を免れがたい。傍受捜査は揺るぎなく進める一方で、李氏の自殺についての真相究明とともに、検察の捜査方法の改善策も議論されなければならない。
政界は、李氏の自殺や傍受捜査を政治的な目的に利用するような発言を慎むべきである。金大中(キム・デジュン)前大統領はきのう、あいさつに訪れた朴ジュソン元議員に「韓国戦争を統一戦争だと言った人は許し、共産党を捕まえた人を拘束するのは適切でない」と述べた。金前大統領がすべきことは、傍受捜査に対する不満を示すことではなく、「人権大統領」時代に国情院によって傍受が行われていたことに対して国民に謝罪することである。