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[オピニオン]法治

Posted January. 02, 2006 03:07,   

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中国・春秋戦国時代の始皇帝は、韓非子に代表される法家思想を採択して中原地域を統一した。戦国時代、韓で生まれた韓非子は、抜かりのない法治が富国強兵への道だと説破した。また、法治の方法として「勢」と「術」を強調した。君主が民を統治するためには、強力な力と権謀術数が必要だとした。帝王統治の強化策であることから、今日における法治の概念とは程遠い。

◆今日における法治は、民主主義のもう一つの表現だ。政権担当者による恣意的な支配はあり得ず、専ら法によってのみ国民の自由と権利を制限することができるという統治原理だ。英国の清教徒革命と名誉革命、米国の独立革命、フランス大革命の結果物だと言える。われわれも朝鮮王朝の経国大典で法治の歴史を読むことができる。しかし、一方では法に対する否定的認識が依然として根強い。強圧統治の手段として法を用いた軍事独裁政権むろん、今も法の正当性を巡る議論が絶えない。

◆そのためだろうか。金元基(キム・ウォンギ)国会議長が法治主義を、新年の談義として投げかけた。寛容と共存の国会を作るために、レンガ一つから新たに積み上げる気持ちで今年を始めよう、とも語った。それとともに、「合意点を見出すことができない場合は、採決を実施して、それに承服するのが法治の基本だ」と強調した。昨年暮れの国会空転の責任を野党になすりつけようとする狙いが読み取れる。国会は政府がまとめた法案を通過させる所だという意味の「通法府」時代に言われた論理を、再び聞かされた感じだ。

◆法の名で成立したからといって、すべてが正当化されるわけではない。私立学校法処理にも法的な欠陥はなかった。昨年暮れにあった大量の法案処理も同じだ。重要なのは、国民の考えをどれだけ汲み取ったかである。法治という言葉で単独国会での変則処理を合理化させようとする発想は困る。新年には、妥協と譲歩で破局を回避する「法治の理想」を、現実に見てみたい。国会は、その中心にいなければならない。

宋大根(ソン・デグン)論説委員 dksong@donga.com