「李海瓚(イ・ヘチャン)首相が昨年秋、中央省庁の幹部たちに、『重要な宿題』を1つ出しました。『生活の苦しい人々を訪ね、どのように生活しているかを確認して報告書を提出せよ』ということでした。私は(経済学者)アルフレッド・マーシャルのことを考えました。ああ、首相は公職者たちに「熱い思い」を持てとおっしゃているんだな…」。昨日、李百萬(イ・ペクマン)国政弘報処次長が書いた「国政ブリーフィング」のトップ記事の内容だ。このレベルの高い記事のタイトルは、「李首相の『宿題』…本当の理性、熱い思い」だ。
◆盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が愛用する「国政ブリーフィング」には、参加型政府の熱い思いを感じることができる記事があふれている。「子どもを産んで育てやすい社会をつくろう」と盧大統領が言ったという記事もある。少子化社会の安全網対策に必要な財源づくりのために、政府与党が税目新設を公論化しようとした、というさらなる事項は報道されない。李首相がなぜ、「国は盤石だ」と言ったのかもわかる。「出資総額制限は、経営権防御にむしろ役に立つ」と主張する寄稿まで掲載されたのを見れば。
◆盧大統領は、「政府の誤報への対応によって、マスコミの記事の水準が高まれば、これも参加型政府の成果だ」という論理を説いた。マスコミの心配までしてくれるとは、ありがたいことだ。そのため、第一線省庁では、統計数値が誤っていても、誤報が出るまで待ってから訂正報道をする事例もあるようだ。政府発のメディアは、記事の水準も高い。「庶民に向けた大統領の愛情はとどまることがない」という盧『飛御天歌(朝鮮・世宗時代に作られた楽章の一つ)』は、誤報かどうかも知りがたい。
◆誤報は訂正されるべきだが、政府が誤報を正すという名分でマスコミまで正そうとしては困る。米ロサンゼルス・カリフォルニア大学のリチャード・ロール教授は、「投票権よりも言論の自由が、民主主義と国富を育てる」と言った。選挙は風に簡単に流されるが、マスコミの国政監視機能は、そのように単純ではないという意味だ。これを知る権威主義政権は、批判的なマスコミから縛りつけようとする。参加型政府は、マスコミの水準を高めることに精力を傾けている。その莫大な力を国政水準を高めることに使ってはどうか。
金順徳(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com