中国を極秘訪問中の北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が13日、南部の広東省の経済ベルトを視察していることが明らかになった。同地域は、1980年代に頳小平の改革開放構想が具体的に実現した所であり、北朝鮮の今後の経済政策の変化が注目される。
▲金正日式「南巡の動き」〓金総書記は13日に、広州で張徳江書記などの広東省のリーダーに会って経済開発区を視察した後、14日には経済特区の深センに移動すると、香港のサウスチャイナ・モーニングポストが報じた。
同日、北京の消息筋も、「多くの状況を総合すると、金総書記は、13日に広州市の珠江の川岸にある五ッ星クラスの白天鵝ホテルに泊まったようだ」と伝えた。
このようななか、日本のNTVは、同日午前9時頃、金総書記のホテル到着の姿をカメラで捉えたと明らかにした。同テレビ関係者は、「少し遠い距離から撮影したので、正確な姿が確認されたかどうかわからないが、多くのホテル職員が金総書記を見たことを確認した」と話した。
日本の読売新聞も、「金総書記が、約50台の乗用車に乗った一行の中にいるのを見た」というホテル職員の言葉を伝えた。
いっぽう、金総書記は広州と深センを視察し、15日には北京に移動して、胡錦涛国家主席ら中国指導部に会うという。
しかしある消息筋は、「金総書記が10日午後に北京郊外に到着し、簡単な日程を消化したという話を聞いた」と述べた。
このため一部では、金総書記が胡主席とまず会談した後、南部の経済地域の視察に向かったのではないかという観測も出ている。
▲「第2の天地開闢」改革の予告?〓当初、金総書記が胡主席の訪朝の約2ヵ月後に電撃的に中国を訪問したことは、両国間の経済協力の拡大と偽造ドル製造疑惑を提起した米国の「北朝鮮への締めつけ」に対する突破口さがしが主な目的であると解釈された。
しかし、金総書記が前例になく中国南部への長い旅程に出たのは、具体的な懸案の論議よりも、「より大きな改革の絵」を準備するための事前の布石と見られる。
特に広東省の深セン、珠海、汕頭の3都市は、1980年8月に中国初の経済特区に指定され、頳小平の改革開放構想が実現した場所だ。
このため、金総書記が帰国した後、北朝鮮に画期的な経済改革の措置が実施されるという観測が有力だ。
実際、金総書記は01年1月に上海、浦東を訪問した後、翌年7月に配給制の廃止と企業インセンティブ制の導入など、市場経済の要素を加味した「7・1経済管理改善措置」を発表した。
このような脈絡で、金総書記の広東省訪問は、中国の経済経験に対する単なる学習の段階を飛び越え、中国の積極的な支援を取りつけて、第2の改革の青写真を出すための準備作業である可能性が高いと指摘される。
さらに、金総書記の訪中は、北朝鮮の改革開放の意志を対外的に誇示することで、米国の金融制裁などの圧迫の水位を下げる副次的な効果もあげられると分析される。
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