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[オピニオン]新しい女性の創造

Posted February. 07, 2006 04:10,   

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大学の卒業式会場で、女子大生たちは堂々としていた。15年後、彼女たちはどう変わっているだろうか。フェミニズムの古典に挙げられるベティ・フリーダンの『新しい女性の創造』は、このような疑問からはじまる。1942年、米スミス・カレッジをオールAで卒業した彼女は、産休を求めたために、記者の職をくびになった状態だった。卒業同期の女子大生の大半は、優雅な郊外の住宅で、台所の床をピカピカに磨く良妻賢母になっていた。これがすべてだというのか。

◆「有能な女性が、自分の能力を実現できる唯一のことは、女性の神秘によって禁じられたことだ」。1963年に出刊された『新しい女性の創造』は、女性史を一変させた。夫と子どものためだけに生きるのではなく、自分に意義のあることを探せと、女性たちの心に火をつけた。世界で260万部が売れ、韓国でも1978年に初めて翻訳され、女性学の必読書に挙げられてきた。「私がしたことは、そのまま歴史になった」。フリーダンの言葉どおり、賃金と昇進の男女平等、中絶許可と保育の拡大を要求した彼女の闘いは、そのまま女性学の歴史として記録された。

◆同本が世に出てから42年が経った昨年、ニューヨーク・タイムズ・マガジンは、「エリート女子大性たち、仕事よりも母親の道を行く」という記事を掲載した。名門エール大学出身の女性の多くが、結婚後、職場の代わりに家庭と育児を選択するという内容だ。紅一点のコラムニスト、モーリン・ダウドは、「家庭とは、安楽な捕虜収容所だとフリーダンは書いたが、最近の女性は、そう考えない」と話す。利口なフェミニズムの後えいたちは、セクシーさを武器にして、男性の富と地位にただ乗りすることを楽しむというのだ。

◆「母親のようには生きない」と言っていた娘が、結局は母親に似るのも、女性の神秘と言えるだろうか。その理由を男女の生物学的相違と見るのか、職場や保育などの社会環境のためだと見るのかによって、人生の姿勢もフェミニズムの路線も変わるだろう。明らかなことは、過去と違って今は、女性が仕事か家庭、あるいは両方を選択できるようになったという点だ。むろん「選ばなかった道」に対する後悔は、本人の責任だ。選択の道を開いた革命的フェミニスト、ベティ・フリーダンの冥福を祈る。

金順徳(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com