大韓民国は、今ここで止まることはできない。後戻りはさらに駄目だ。未来に向かって走り続け、先進国としての韓国を成し遂げなければならない。世界は私たちのやり次第で、私たちの味方にもなれるし、私たちを捨てることもある。もう一度跳躍するか、右往左往した挙句ひざまずくか。今、韓国と韓国人は瀬戸際に立たされている。東亜(トンア)日報が本日、創刊86周年を迎え国の道と言論の責務を、改めて考えている理由だ。
振り返ってみれば、誇らしいのは韓国だ。血と涙を流して、産業化も民主化も実現した。超強国の米国と自由貿易協定(FTA)を交渉中の、世界12位の経済大国だ。このような偉大な成就を自虐したり、先輩たちの献身を捐毀してはいけない。
漢江(ハンガン)の奇跡は、自由民主主義と市場経済の力を証明する。一時の開発独裁は国民の自由な暮らしに濃い陰も落としたが、眩しい復興と成長で自由民主のための土壌を作り上げた。韓国の選択が大きく見て正しかったことを、住民の衣食住さえ解決できない北朝鮮体制が反対側で雄弁する。
しかし、今日私たちは自由と市場の試練を目撃している。巨大な世界化の波の中で、競争国は個人の自由と責任、市場経済を通じて繁栄の道に突き進んでいるのに、韓国の時計ばかりが逆に回っているようなあんばいだ。
自由と市場の旗をもっと高く掲げなければならない。これを通じて、個人の競争力とその総合である国家競争力を極大化してこそ、世界の中で自力生存が可能になる。世界がどこへ向かっているか分からないまま小部屋に立てこもって、「一緒に生き、一緒に死のう」と言ってはお互いに足を引っ張り合ってばかりいては、共に生きられる道も見えなくなる。
半世紀以上も、安保と繁栄の垣根になってくれた韓米同盟によって、自由と市場という価値を共有したからこそ、それは可能だった。中国の急浮上と日本の軍事大国化で「烈強政治」の復活が予見される北東アジアで、われわれが守っていかなければならない価値と同盟が、他にあるはずがない。
南北関係も「自由と市場の拡散」を志向しならなければならない。北朝鮮をなぜ助けるのか。それは、自由の息づかいを北朝鮮に感じさせ、市場の価値に目覚めるようにするためだ。それだけが、北朝鮮の同胞たちを人間らしい暮らしができるようにしてくれると確信している。対北朝鮮政策に緩急と硬軟の調節は必要でも、その方向を逆にするわけにはいかない。自由と市場に逆行する民族と統一を、われわれは断固として反対する。
反市場主義では、とうてい先進国にはなれない。ここ3年間の年平均の経済成長率が3.9%と止まったのも、反市場的政策とその実行がもたらした結果だ。社会を「20対80の戦場」に追い込み、20から取り立てて80を幸せにしてやるというような欺満的な政治では、低成長と貧困化の悪循環を断ち切ることはできない。今後も、この調子で続けば、産業の空洞化を越えて資本と人材の空洞化という災いに直面するだろう。
自由主義は、もとより国家の恣意的な権力行使を防ごうという趣旨から始まった。国の干渉を最小化にしようとしたのだ。民主主義もそのため手段であり、時代が変わっても自由主義の原形は変わらない。「小さな政府」と「脱規制」がそれだ。政治も政府も、その方向に進まなければならない。過度に国民生活に入り込んでは組み分けをして、ポピュリズム(大衆迎合株の)政策を乱発しながら、あらゆる規制で市場を縛り付ける政府は、過去の権威主義政権と変わらない悪だ。
政府の一部の領域を市民社会が取って代わって担っていくのは、確かに時代の流れである。しかし、それには成熟さが前提となる。法治を威嚇して、社会の正しい規則を崩していくような市民であってはならない。声の大きい者とその集団が勝って、相手よりもっと鋭い刀を振り回さなければ通用しないような社会とは、理性が生きている社会ではなく野蛮に後退している社会だ。これもまた、先進化の敵である。
政府や企業、市民社会の役割分担と調和が切実だ。各々が元の位置を守り、元の役割に充実している時、先進国としての韓国も実現することができる。東亜日報は、言論機関としてそのために全力で取り組むだろう。これからも自由民主主義と市場経済を守るために、どんな困難にも屈しないだろう。先進化への敵を避けて通ろうとしないだろう。読者の皆さんの信頼と声援が何よりも大きい力だ。