父親(李ホンウ中尉)の写真を胸に抱いた李ヨンヒ(49)さんが、目に涙を浮かべた。ヨンヒさんは6日午前、ソウル銅雀(トンジャク)洞の国立墓地の位牌奉安所に入って、唇をかみしめていた。
半円形の大理石の壁に米粒のように刻まれた約1万人の名前。ヨンヒさんは視野を遮る涙のせいか、近くまで来ていながら父親の名を探すのに時間がかかった。震える手で名前を一つひとつ直接触って確認し、「中尉・李ホンウ」の名前を見つけ、低く呻きながら座りこんだ。
ヨンヒさんは、一緒に脱北しようとして死んだ父親(死亡当時75歳)の最後の姿を思い浮かべた。李中尉は大学生だった1951年1月に幹部候補生に志願入隊し、同年7月に北朝鮮で捕虜になった。彼は、還暦を過ぎても続くつらい炭鉱労働の後遺症で脳卒中を発症して、昨年8月に亡くなった。
ヨンヒさんは、「代わりに故郷に行ってくれ」という父親の遺言によって昨年9月、一人で豆満江(トゥマンガン)を渡ったが、韓国行きは苦労の道だった。脱北を勧めた韓国の知人が、李中尉が死んだため、ヨンヒ氏の身元が韓国では確認できないとして連絡を絶ったためだ。また、ヨンヒさんはその時期に急に腹痛を訴え中国のある病院に入院したが、「今すぐ手術をしなければ命が危ない」と診断され、一時は自殺を図ったことさえもあった。
しかし、彼女の消息を伝え聞いた拉致被害者家族会の崔成竜(チェ・ソンヨン)代表の助けで、ヨンヒさんは昨年11月19日に韓国に到着し、1月11日に国軍首都病院で子宮筋腫の切除手術を受けた。
2月初めに退院したヨンヒさんは食事もろくにとれない体でありながら、寒食の6日、国立墓地を訪れた。父親の位牌の前で、初めての法事をしたかったためだ。
ヨンヒ氏は父親に備える果物を持参したが、それさえも忘れてしまったかのように、父親の名前の前で涙を抑えることができず、1時間ほど座りこんでいた。
周囲の人々の手を借りて何とか立ち上がったヨンヒさんには、「肉体はここにあっても、魂はすでに韓国にある」という父親の言葉を思い出していた。父親を故郷の地に埋葬もできず、私は親不孝者だ」と語った。
現在、脱北者教育院のハナ院で生活しているヨンヒさんは13日に退所する予定だ。彼女は父親の故郷の忠清南道舒川郡(チュンチョンナムド、ソチョングン)から近くの大田(テジョン)市で生活する予定だ。
04年に一人で脱北し、中国公安につかまって北朝鮮に送り返された国軍捕虜のハン・マンテク氏の甥の嫁であるシム・ジョンオク(53)さんが、姉妹のようにヨンヒさんの韓国生活を助けると言ってきた。ヨンヒさんの韓国での知人たちも13日に大田に集まり、ヨンヒさんに許しを請う考えだ。
法事を終えてハナ院に戻るヨンヒさんの表情は暗かった。彼女は「夢に現われる父は、まだ故郷の地を探している。父の遺骨を連れてくるまでは、足を伸ばしては眠れない」と話した。
同日、法事に参加した崔成竜代表は、「政府レベルで、国軍捕虜と拉致問題を解決すべきだ」と述べた。
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