Go to contents

燕巖を読む

Posted April. 08, 2006 03:05,   

한국어


ここに20の文章がある。燕巖(ヨンアム)の漢文小品だ。手紙文もあり、日記形式の文もあり、亡くなった人を追悼する文もある。ハングルに訳しても計50頁余りの分量だ。しかし、燕巖専門家である朴教授は、この短文に盛り込まれた深みと美学を解釈することで、燕巖の文を古典入りさせる。

まず、原文をハングルに訳した文章を見てみよう。43歳に亡くなった一番上の姉のお棺を乗せた船が川を渡るのを眺めながら、燕巖が作った文章だ。

「あの時、ふと、川の遠く向こうに見える山の黒青い光がまるで姉の嫁入り日の髪型のようであったし、川の水色は当時の鏡のようであった、明け方の月は姉上の眉毛のようであった」

月明師(ウォルミョンサ)の作品「祭亡妹歌」から徐廷柱(ソ・ジョンジュ)の作品「菊のそばで」へと、綿々と続く姉に対する切なさが感じられる。

燕巖が、金浦(キムポ)から江華(カンファ)海峡の間に虹がかかった風景を描写した文章を見てみよう。「遠く眺めたら延安(ヨンアン)と白川(ベチョン)の間に雨脚が白い絹のように垂れている」。なるほどと膝を打たせる絶妙の表現だ。たった一つの文章で一つの東洋画を描いているのではないか。

『史記』を書いた司馬遷の心に対して批評した手紙の文章を見よう。「子どもが蝶を捕る光景を見れば、司馬遷の心が分かります。前足は半ばひざまずいて、後ろの足はななめにかかとを上げては指を『Y』字の形にし、ひそかに近付いて捕るかどうかためらう瞬間、蝶はつい飛んでしまいます。四方を見回して誰もいないと、にこりと笑いながら恥ずかしそうにしていたり、腹立てたりすしていますが、これが、まさに司馬遷が『史記』を書く際の心です。」実に独創的な歴史評論と言わざる得ない。

このような素晴らしい文章について解釈する朴教授の腕前はどうか。燕巖が青雲の志を広げることができない国家試験に落ちた人たちと一緒に夜明けの露を踏んで、今のソウルの鐘路(チョンノ)と清渓川(チョンゲチョン)一帯を歩き回ったことを書いた文章には、獒(オ)という品種の犬が忽然と登場する。獒はチベット山の猛犬で清を通じて国内に入ってきたが、馴らすことは大変で、きれいな肉でなければ食べない高尚な品性を持ち、他の犬と混じることができず流れ犬として暮した。朴教授は、燕巖がこの獒を本人の群れと同一視する絶妙の比喩を通じて小中華の意識に陥って清の先進文明を排斥し、自分たちのような人才を登用しない朝廷を密かに叱咤していると読み解く。直観的に世界の本質を悟る瞬間を意味する「ひらめき(epiphany)」というモダニズムの作法を思い出させる。

朴教授はまた、燕巖の文章が漢文学の伝統的作法にどれほど破格の変化を与えたかを紹介したことで、大文章家としての燕巖の真の姿を見せている。竹塢(チュクオ)という堂号が書かれた家の事情を書いた文を見てみよう。燕巖は、竹が節義の象徴に過度に表現されることを指摘し「竹に対する文を書かない」と重ねて述べているが、突然、その家主の一本気の表情から竹のような心情を見つけて筆を持った。竹に人を比喩するのではなく、人を竹に比喩する逆発想に感嘆せざるを得ない。

作品が古典入りするということは、その原文の力だけでは難しいことだ。原文を新しく解釈する数多くの注解があって始めて、古典になる。燕巖の文は確かに彼ならではの雅趣と勢いを持っている。今、私たちは約200年前のその文章に、堂々とその名を呼ぶ姿勢を持っているだろうか。



confetti@donga.com