「情のうつった故郷を離れるのに、未練のない人がいるだろうか。しかし、国策事業なのだから、去らざるを得ない」
1月、政府と土地補償に合意して、3代に渡って暮らしてきた大秋里(テチュリ)を離れたパン・ヒョジュン氏(61)の言葉だ。
家と畑の約800坪に対して約3億ウォンの補償を受け取った彼は、4日午前、大秋分校の前で警察の強制撤去の過程を見守りながら、深いため息をついた。
現在、大秋里から近いソンファ里で、33坪のマンションを借りて暮しているパン氏は、これまで妻(59)とともに、一日も欠かすことなく故郷の家を訪れた。
引っ越しの時には未練が残り、家に残した家畜に飼料を与えて、親しく過ごしてきた隣人の状況を聞きたかったからだ。
しかし、パン氏は補償を拒否し、強制撤去を前にした旧隣人から、「米軍基地移転に賛成した裏切り者、なぜ来た」という皮肉やひどい悪口を聞かなければならなかった。いつの間にか住民たちも二つに分かれていたのだ。
パン氏は、大秋里に残った住民たちが補償を拒否する理由について、「ある日、突然村に来た若い運動家たちの影響が大きいのだろう。補償は十分ではなかったが、私は、政府が必ず推進しなければならない事業なので仕方なく去った」と話した。
同日、警察と対立して大学生たちが竹の棒を振り回し、「米軍撤収」を叫ぶのを聞いて、パン氏は、「南北が分断した現実を考えると、在韓米軍は存在しなければならない」と断言した。
パン氏は、大秋分校の強制撤去が終了する前に家畜を処分し、胸の痛む記憶をすべて忘れることにした。
インタビューが終わる頃、横で黙って聞いていた夫人が、「醜い姿を見せる前に家へ帰ろう」と言ってパン氏の手を引いた。
「引っ越す時、畑にトウモロコシを植えておきました。夏には食べられるかも知れません。畑がその時まで残っていれば、子どもたちと分けて食べます。だめなら仕方がないです」
「私は出ていかないつもりです。死ぬなら、ここで死にます」
一方の方孝台(パン・ヒョテ・70)氏は、4日午前10時、京畿道平澤市彭城邑(キョンギド・ピョンテクシ・ペンソンウプ)大秋里の大秋分校の運動場の隅で、戦闘警察隊たちが学校に突入する姿を見て、座りこんで胸をたたいた。
方氏は、3代に渡って大秋里で生まれて育った地元の人で、101歳の老母と暮らしている。彼は3日、大秋分校で夜を明かした。学生や労働者たちと大秋分校の正門前に座り込んで、デモをした。知らない歌も歌い、拍手もした。
方氏は、警察隊によってアスファルトの道路にほうり出された。彼は、悔しい思いで涙を流した。
「自分の土地に住むことがなぜ悪いのか。国の供託金には、私は手もつけていない!子どものように可愛がってきた田が掘り返される姿を、どうして見ることができようものか」
方氏は、補償金の金額は、根拠がないと考えている。
「他の平澤の土地は1坪当たり50万から100万ウォンくらいだが、15万ウォンを渡されて出ていけというのだから、これは強盗以外の何ものでもない」
方氏は、金よりもっと大きな問題は、故郷を離れなければならないことだと話した。
「私が生きる時間はそれほど残されていない。この歳でよその土地に行けば、することがあるだろうか」
しかし、すでに多くの人々が故郷を離れた。方氏は、タバコを取り出してくわえながら、「出て行った人も、政府が大秋里を人が住めない所にしたために出て行ったのだから、考えてみれば被害者だ」と話した。
結婚した4人の子どもたちから昨日、電話があった。子どもたちは、危ないから大秋里を離れるように勧めたが、方氏はまったく聞く耳を持たない。
「国が必要なら土地を渡すことはできる。しかし、棍棒と盾を持ってきて言った言葉が、私の土地にヤンキーの基地をつくるというんだ。それはできない」
方氏は、「家から出られない母が心配だが、ここで(私たちの意思が)崩れると考えるのは誤算だ」と釘を刺すように言った。
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