野党ハンナラ党の朴槿恵(パク・グンヘ)代表に凶器を振り回したチ容疑者(50)と演壇に上がって暴れた朴容疑者(54)は、どんな関係だろうか。
両容疑者の犯行動機と関係は、21日に構成された検・警合同捜査本部が明らかにしなければならない最大の課題だ。両容疑者に関係があり、特定団体の所属である場合、同事件は、「政治的テロ」と規定されるためだ。
両容疑者の経歴があまりにも異なっているため、関係性がない可能性もあるが、検・警合同捜査本部は、両容疑者の関係を優先的に究明する計画だ。
▲チ容疑者は誰?〓チ容疑者は孤児で、育ての母親(81)が自分を育てたことを知って、高校時代から非行に走りはじめた。
チ容疑者の育ての父親は約20年前に死亡し、母親は、仁川南区鶴翼洞(インチョン・ナムク・ハクイクドン)で、麺類の食堂を経営していたが、現在は痴呆症で、京畿道龍仁市(キョンギド・ヨンインシ)のある養老院で生活していることが分かった。
仁川の某短大を中退したチ容疑者は、1990年代半ばに、暴行容疑で懲役7年、保護監護処分7年の判決を受けて服役し、保護監護4年目の昨年8月、青松(チョンソン)保護監護所を仮出所した。チ容疑者は、特殊公務執行妨害などの前科8犯だ。
彼は、仁川西区深谷洞(ソク・シムゴクトン)の韓国更生保護所仁川支部で生活し、2月末、「考試院に居住先を見つけた」と言って、同所を出所した。
同更生保護所の関係者は、「チ容疑者は、右目がほぼ失明状態で、糖尿病を患っている。目のため、青松保護監護所から病院に通う時、『私を失明させようとしている』と言って治療薬を飲まないなど、社会に対する不信がひどかった」と話した。
チ容疑者は3月初め、以前から知り合いだった売春宿を経営するチェ氏を訪れ、生活保護対象者になるには住所が必要だと言って、チェ氏が所有する建物に住所を移したが、実際にはそこでは住まなかった。チ容疑者は、政府から毎月18万ウォンの補助金を受けている。売春宿近くの住民たちは、「チ容疑者はハンサムで、背広を着て歩いていた。踊りが好きで、キャバレーに通っていた」と話した。
チ容疑者は先月6日、75万ウォンのデジタル・マルチメディア放送(DMB)受信の携帯電話機を分割払いで購入していた。犯行10日前には、更生保護所に電話をかけ、「生活が苦しい。米10キロを貸してほしい」と言ってきた。
チ容疑者は昨年12月17日、現代(ヒョンデ)デパート新村(シンチョン)店前で、私立学校法改正に反対する街頭広報戦を繰り広げていたハンナラ党の郭成文(クァク・ソンムン)議員ら党員約20人に殴りかかり、取り押さえられたこともある。当時、郭議員らが処罰を望まなかったことから、警察はチ容疑者を起訴せず、捜査を終えた。
チ容疑者は警察で、「金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)が大統領にならなかったら、(私は)死んでいた」と話し、野党に対する深い不信をあらわにしたと警察は伝えた。
警察関係者は、「チ容疑者が犯行前日、仁川の友人宅に泊まったことがわかったが、その友人が誰かについては話さず、主要な質問に対して黙認で一貫している」ことを明らかにした。
▲朴容疑者は誰?〓朴容疑者は、与党ヨルリン・ウリ党の基幹党員だ。朴容疑者は、盧武鉉大統領に対する国会の弾劾訴追案が可決された直後の04年3月から、毎月4000ウォンずつの党費を払っていた。
警察で、某通信装備販売の中小企業の支店長兼理事だと明かした朴容疑者は、ソウル銅雀区舍堂洞(トンジャクク・サダンドン)に住んでいる。
朴容疑者は事件当日、ソウル西大門区阿硯洞(ソデムンク・アヒョンドン)で、小学校の同窓生の子弟の結婚式に出席した後、現代デパート新村店近くのレストランで、同窓生たちと食事をし、酒を飲んだ。朴容疑者は、「レストランを出て、ハンナラ党の遊説車が目に入り、殴りかかった。チ容疑者をまったく知らない」と話している。警察に連行された時、朴容疑者の血中アルコール濃度は0.137%で、焼酎1本以上を飲み、泥酔状態だったという。
警察は、これまで明らかになった情況と供述から、チ容疑者と朴容疑者が事前に共謀したという根拠はないと説明している。
しかし、ハンナラ党関係者たちは、「チ容疑者が凶器を振り回した後、周囲から4、5人が『殺せ!殺せ!』と叫び、その後、朴容疑者が跳び出して大声を出した」と主張した。このため、ハンナラ党は、両容疑者が共謀した可能性に注目している。