「皆さんが心配して下さったおかげで、このように退院でき、またお会いすることができました。大きな声であいさつもし、訴えたいのですが、それができない点は理解して下さい」。
襲撃事件で10日間入院していた野党ハンナラ党の朴槿恵(パク・グンへ)代表が29日、退院直後に大田(テジョン)に駆けつけ、有権者の前で発した応援遊説の最初の一言だ。
▲執念の遊説を強行〓同日午前11時頃、ソウル新村(シンチョン)セブランス病院で退院手続きを終えた朴代表は、乗用車に乗って激戦地の大田に向かった。
移動の車中で、おかゆで簡単な昼食を済ませた朴代表は、午後2時20分頃、朴城孝(パク・ソンヒョ)大田市長候補の事務室に立ち寄り、関係者たちを激励した後、午後3時頃、朴候補とともに大田中区銀杏洞(チュンク・ウンヘンドン)の「ウヌンジョンイ文化通り」で応援遊説をした。遊説車両での1分40秒ほどの短い演説で、朴代表は「今回の選挙で、朴候補を必ず当選させて下さい。私が保証します」「皆さんの選択を期待します」と訴えた。
遊説現場には、朴代表を見るために集まった約6000人の市民が、拍手と歓声を連発し、一部の支持者は涙まで流すなど、「朴風(朴槿恵旋風)」を感じさせた。
朴代表は同日、青いパンツスーツに金色のブラウス、薄いベージュのパンプスと、襲撃当時の「戦闘服」で大衆の前に現れた。遊説が中断した時点からまた出発するという意志の表現らしいと党幹部たちは話す。
傷の箇所に医療用テープを厚く張り、薄化粧をした朴代表は、傷が痛むのか、話す時も口を大きく開けることができず、微笑むこともなかった。
▲「まだすべきことが残っている」〓同日の突然の遊説は、側近たちも予想していなかったという。
朴代表は同日午前、劉正福(ユ・ジョンボク)秘書室長を病室に呼び、「大田と済州(チェジュ)に行く。投票もする」と言った。劉室長が、「健康によくないかもしれない。政治ショーと批判され、逆風が吹く恐れもある」と止めたが、朴代表は、「党代表であり、選挙対策委員長として当然のことをするのに、あれこれ考えるのはおかしいではないか」と、きっぱり述べたという。
朴代表は、病院3階のロビーを出る時、集まった「朴槿恵を愛する会」を含む約700人の支持者に、「私が無事に病院を出ることができたのは、まだすべきことが残っているからだ。これからの人生はおまけだと思って、豊かで安全な国づくりのために、私のすべてを捧げる」とあいさつした。
また、「今回のことで、私の顔の傷よりも国民の皆さまの心に傷をつけたのではないか、心配だ。私の血と傷で、韓国のすべての傷と葛藤が縫合されてほしい」と話した。
▲応援効果とウリ党の警戒〓党内では、周囲の反対を押し切った朴代表の劇的な応援遊説が、終盤の追撃戦をしている党所属候補たちの大逆転劇に大きな力になるという分析が、「オーバー」という慎重論よりも優勢だ。
ヨルリン・ウリ党は、朴代表の退院で、襲撃事件の政治的負担が多少緩和された点は喜びつつも、朴代表の大田、済州の訪問が、選挙に及ぼす影響を警戒する様子だ。
ウリ党の禹相虎(ウ・サンホ)スポークスマンは、「朴代表が全快し、退院されたことを嬉しく思う」とし、「大田に対する執着は、(ハンナラ党を離党し、ウリ党に入党した)廉弘迵(ヨム・ホンチョル)候補に対する個人的恨みのためだという批判を受けるのに十分だ」と述べた。
朴代表は、同日午後遅くにソウルに到着し、30日には済州島に渡って、玄明官(ヒョン・ミョングァン)済州知事候補の応援遊説を行い、31日には、居住地の大邱(テグ)へ行って投票する計画だ。
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