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アイポッド崇拝者

Posted June. 10, 2006 03:34,   

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『カルト・ブランドの誕生・アイポッド』/リアンダー・カーニー著/李マス翻訳

「最も小さく、最も薄く、最も多くの歌(1000曲)を保存できます」と紹介されたこのハード・ドライブ型デジタル・ミュージック・プレーヤーへの世論の最初の反応は、冷笑的だった。アイポッドは、デジタル・ミュージック・プレーヤーの中で、最初の製品でもなかったし、最大用量でも、最低価格でもなかった。アイポッドの英語の略字をとって「バカが値段をつけた器機」「独創的な製品のふりをしている」というあざけりも多かった。

しかし時間が経って、アイポッドは威力を発揮し始めた。発売開始3年で、販売量は1000万個を突破した。ソニ−・ウォークマンの発売開始後から3年間の販売量は、300万個だった。『ビジネス2.0』は、2010年までに5億個、地球上の人口15人に1人の割合でデジタル・ミュージック・プレーヤーを持つようになり、そのうちアイポッドのシェアが圧倒的だと見通した。

アイポッドのこのような成功は、なぜ可能となり、私たちの生活をどのように変えているのか。

米国の情報技術(IT)専門のオンライン・ニュースサービス『ワイアード・ニュース』の編集者である著者が書いた同書は、この質問に対する解答を見出す。著者は、アイポッドの成功神話を、△新しい音楽メディアの本性に対する卓越した洞察、△ソフトウェアとハードウェア、コンテンツの3拍子を結合したシナジー、△単純だが高級なデザイン、△消費者の情熱が創出した自律的マーケティングの勝利、と分析する。

アイポッドは、ウォークマンが創造した個人的音楽の空間を深く広く確張した。ウォークマンが一枚のアルバムに入った曲に囲まれた浅い塹壕(ざんごう)に過ぎないとすれば、アイポッドはディスコテック分量の曲の峡谷を作り上げた。ウォークマンが小さな畑なら、アイポッドは膨大な領地だ。

これを可能にしたのは、ハードウェア(アイポッド)、ソフトウェア(iTunes)、オンライン・サービス(ミュージック・ストア)を同時に構築できたアップル社の企業文化にあった。

アップル社は、ソフトウェアとハードウェアに分化していくPC業界で、かたくなに総合製造の道に固執し、時代におくれた巨大企業という批判を受けたが、その弱点を強みに切り替えたのだ。

アップルの威力はデザインでも確認される。アイポッドは、多くのIT製造企業の生産品を集めて組立てた製品だ。IT製造企業が感嘆したのは、多くの部品をうまく結合した組み立ての技術だった。

多くのボタンがついたFMラジオ受信機のような初期のデザインをシンプルで洗練されたイメージに構築した「魔術」も驚くべきだが、伝統的に黒のイヤホンの色を本体と同じ白で統一したのが画龍点晴だった。

マーケティングの主役は、企業ではなく消費者だった。米国で、大規模な全国マーケティングの年間費用が平均2億ドルがかかるのに比べ、アップル社のマーケティング・コストは初年度2500万ドル、翌年4500万ドルだけだった。

しかし大衆は、自らアイポッド入りのシルエット写真を作り、自費を投じて非商業的インターネットの動画広告を作って、アイポッドの伝道師になった。デイビッド・ベッカムのようなスターも、自発的にアイポッドを利用する姿を露出し、この隊列に参加した。「カルト・ブランド」という本のタイトルは、アイポッドに対する宗教的崇拝に近いこのような異常熱気を指す。

アイポッドがもたらした文化革命も興味深い。ナイトクラブで、音楽の供給者(DJ)と需要者(ダンサー)の境界が崩れた。保存された曲を無作為に選曲して再生するシャッフル機能によって、過去、作曲家の統制下にあった歌が、独自の生命力を持つようになった。評論家たちは、これを美的統制の喪失だと批判するが、自分たちの日常的時間と空間を音楽的想像力を通じて自己の統制下に置こうとする現代人の欲望を反映する、という解釈も登場している。

今また、「メディアはメッセージだ」というマーシャル・マクルーハンの洞察が光を放っている。

原題『The Cult of iPod』(2005)。



confetti@donga.com