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韓国貿易の生き証人・金基鐸氏「貿易協会は政府にもっと苦言を」

韓国貿易の生き証人・金基鐸氏「貿易協会は政府にもっと苦言を」

Posted July. 26, 2006 03:01,   

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1948年10月、27歳の金基鐸(キム・ギタク)サムファ貿易公社社長はイカを積んで香港に到着した。英国の商船会社「太古洋行」所属の貨物船に乗り、仁川(インチョン)を発ってから5日後だった。金氏は香港を拠点に輸入品の問屋をしていた自由公社にイカ2000㌧を渡し、5万ドルを手にした。金氏と一緒に貨物船に乗っていた韓国貿易第一世代たちはイカと卵、亜鉛、タングステンなどを香港に輸出して外貨を稼いだ。これといった工業製品がなかった時代だったが、意欲に満ちた青年事業家たちの活躍のお陰で、新生独立国である韓国は48年に、それでも1420万ドルの輸出を果たした。

金氏はイカとタングステンを香港に輸出したお金で、ペニシリンと服地を国内に輸入した。香港に行って来る度に、ソウル市内の立派な住宅一軒分の利益が落ちた。49年にはサムファ実業を創立して多様な品目を持って輸出現場を歩き回った。67年にはサムファ製紙も立ち上げた。

60年代初めにはドイツに葉煙草を輸出しており、70年代から80年代初めにかけては、バングラデシュとパキスタンなど東南アジア市場に製紙類を輸出した。

サムファ実業は、80年代初め、輸出実績3000万ドルを突破した。しかし、80年代後半から大手企業の総合商社が本格的に貿易業に参入し、立地が狭くなると貿易の比重を減らして、内需向けの製紙事業に力を注いだ。

54年に韓国貿易協会の理事になった金氏は、今まで52年間、同協会の理事職を維持している。71年から14年間は貿易協会副会長も務めた。理事と副会長いずれも最長寿記録だ。貿易協会は、28日にあった創立60周年の記念式行事で金氏に功労牌を授与する。

24日午後、ソウル中区小公洞(チュング・ソゴンドン)にあるサムファ製紙の社屋で、韓国貿易史の生き証人である金基鐸・サムファ製紙名誉会長(85)に会った。1時間半のインタビューで、貿易と貿易協会についての深い愛情を確認することができた。

李熙範(イ・ヒボム)貿易協会会長に頼みたいことは何かと聞いた。

「国内の各企業は、世界各地で他の企業と戦争を繰り広げています。戦闘意欲を失えば、兵士がいくら多くても負けることになります。実業家が戦闘意欲に燃えて戦うことができるように政府が支援しなければなりません。新しい会長も、そのようなことの先頭に立たなければならないでしょう」

金会長は、実業家が楽しく、楽に事業ができる国を作らなければならない、とも強調した。

「企業を営む人は、一般の人が知らない苦労が多いです。実業家も夕方に気持ち良くお酒一杯飲ができる雰囲気が作られるべきだけど、惜しい点が多いです」

貿易協会に対する苦言も忘れなかった。

「職員が多過ぎます。会長が変わる度に人を連れてきます。歴代の会長も、貿易業界のための仕事よりは政府の機嫌を伺う傾向がありました。もう変わらないと」

金会長は70年から12年間、大韓商工会議所の副会頭を務めており、全国経済人連合会の創立メンバーでもある。

金会長は、国内の各経済団体の活動に不十分な点があると指摘した。

「経済団体は政府に対して苦言が言えなければなりません。故朴斗秉(パク・ドゥビョン)斗山(トゥサン)グループ会長が大韓商工会議所会頭を務めたときは、よく積極的に苦言を呈していたのだが、最近は機嫌だけを伺って、人気のないことはあまりしようとしない」

韓米自由貿易協定(FTA)については、「私の立場で言えることではない」としながらも、「韓国も、すでに世界の中に跳びこんで競争しなければならない」と答えた。



buddy@donga.com