Go to contents

沈黙の李首席秘書官と楊秘書官

Posted August. 12, 2006 10:22,   

한국어

劉震龍(ユ・ジルリョン・50)前文化観光部次官が人事外圧の張本人と名指しした李百萬(イ・ベンマン)大統領広報首席秘書官と楊正哲(ヤン・ジョンチョル)広報企画秘書官は、11日、終始沈黙を守った。両者は担当記者たちの電話も一切受けつけなかった。

その代わり両者は、同日、鄭泰浩(チョン・テホ)大統領府報道官を通じて、「(今回の事件に)説明する価値を感じない」と述べ、対応しない方針を明らかにした。しばらく公式の説明はないと大統領府関係者たちが伝えた。

李首席秘書官と楊秘書官は、公開説明をする場合、劉前次官更迭をめぐる人事請託波紋がむしろ増幅することを憂慮し、「真っ向対決」を避ける方向で考えを固めたもようだ。

鄭報道官は「人事請託問題は劉前次官更迭の本質的な問題ではない」とし、詳細な言及は避けている。劉前次官に対する大統領府の職務監察の経緯など事件の鍵になる事項については、「確認するのは適切でない」と回避した。

李首席秘書官と楊秘書官はこれまで、マスコミ報道の些細な過ちに対しても大統領府の定例会見や記者会見を通じて一つひとつ反ばくしてきた。それが、いざ自分たちに疑惑の目が向けられるや一貫して沈黙を守る態度に、卑怯ではないかという批判が出ている。

李首席秘書官は韓国(ハングク)日報経済部長や論説委員を務めた記者出身で、04年3月から国情広報処次長を務め、今年2月に広報首席に抜擢された。

国情広報処次長時代、国政定例会見で、朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領を高校校長に、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領を大学総長にたとえるなど、盧大統領を称賛した。先月28日には記者会見を開き、東亜(トンア)日報のコラムと朝鮮(チョソン)日報の分析記事の内容を問題視して「麻薬」云々と言い、大統領府の取材協力拒否の方針を明らかにした。

386側近グループに分類される楊秘書官は、1988〜94年、「言論労報」記者を経て、企業の広報室で働いた。94年、羅山(ナサン)グループ広報室に勤務し、95〜97年、韓宝(ハンボ)事態(07年1月の韓宝鉄鋼倒産およびこれに関連した権力型金融不正事件)の時、韓宝グループの鄭泰守(チョン・テス)総会長の秘書を務め、01年にはスカイライフの広報室長も務めた。

02年に盧武鉉大統領候補陣営に合流し、03年、大統領国内言論秘書官室行政官(3級)として大統領府入りし、現在1級秘書官に高速昇進した。04年、東亜日報の新行政首都移転関連報道に対し、「呪いの儀式をやめろ」という内容の文章を大統領府のホームページに掲載するなど、批判的なマスコミに対して荒っぽい発言をしてきた。

楊秘書官は04年8月、政府主催の行事の費用分担を要求するために三星(サムスン)グループに電話をかけていた事実が明るみになり、物議をかもした。



jyw11@donga.com