「昔はわらぶきだったのに、今ではトタンぶきの屋根になっているね」
13日、「ナヌムの家」の日本軍慰安婦歴史館の前。元慰安婦の文ピルギ(81)ハルモニ(おばあさん)は故郷の慶尚南道晋州市(キョンサンナムド・チンジュシ)を撮った写真をなでながら、言葉を継ぐことができなかった。
文さんは4時間くらいで行ける故郷を何故写真で見て涙するのだろう。
「故郷に行くと、村の人たちは苦しいことばかり聞くの。私が見えなくなると、こそこそ話す人たちのせいでたくさん泣いたのよ」
故郷の村人たちの冷ややかな視線のために故郷から離れてきた文さんは、たまに母親の墓参りだけに行き、急いで故郷を去ってきた。知り合いに会うのが心配で、泥棒猫のようにこっそり故郷に行くため、故郷見物をする余裕もない。
日本軍慰安婦だったおばあさんたちが一緒に住んでいる京畿道広州市(キョンギド・クァンジュシ)の「ナヌムの家」は14日、光復節(クァンボクジョル、日本植民地支配からの独立記念日)を迎えて、慰安婦のおばあさんのために、故郷の写真展「根と恨」を開いた。
「ナヌムの家」に頼まれた2人の写真作家が1カ月間、全国を回り、慰安婦のおばあさん17人の故郷の景色を300枚の写真に撮り、おばあさんたちにプレゼントしたもの。
李オクソン(79)おばあさんは絶対に故郷に行かない。李さんは日本軍慰安婦として中国に引っ張られて祖国に帰って来れないでいたが、00年に帰国し、韓国国籍を取り戻した。しかし、58年ぶりに戻ってきた故郷の村人たちはおばあさんの心を引き裂いた。
日本軍の性的虐待にも、刀で手首と足首を切られても、「絶対に生きて故郷に帰る」という一念でねばった李さんだが、故郷の村人に冷たい目で見られ、また一つの恨を抱いた。
「故郷の親戚が『こっちに来ないで、あっち(ナヌムの家)に住んでて死ねば良かったのに、なんで帰ってくるのか』って。それを聞いて、その場で死にたかったの…」
息が詰まるほど暑くても、おばあさんたちは写真の中の故郷に夢中だった。見るだけでは飽き足りないかのように写真をなでまわした。
故郷の写真を何度もなでていた朴オクソン(82)おばあさんは、すぐそばにいたおばあさんに、「ここのこの橋を渡ればお寺があって、こっちに行くとアリラン碑石があるのよ」と果てしなく故郷の話をした。
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